【UFC】殿堂入りしたフランキー・エドガーが語ったこと「全力を尽くして戦った。後悔はない」──アイアン・アーミー・アカデミー開設へ
◆UFCで勝った月曜日も仕事に行かなければならなかった
2005年7月にブロンクスの『UCL』(アンダーグラウンドコンバットリーグ)でエリック・ウレスクとMMAデビュー戦を戦い、1R TKO勝ち。60ドル(約9千円)のファイトマネーを手にしたエドガーは、その金額をゆうに超える眼窩骨折の手当をしながら、配管作業をしていた。 アンダーグラウンドでは、階級も無くドクターもおらず、「基本的にルールがない1Rの試合」でレスラーのエドガーは頭突きを駆使して勝利した。当時は「勝つための良い方法だったよ」と笑う。 2005年10月に正式にプロに転向し、『Ring of Combat 9』で2度目の勝利と初の公式戦勝利を得た。彼は2007年2月にUFCに参加する前に、4つの団体で6試合を勝利している。 UFC前の最後の試合は『Reality Fighting 14』でのジム・ミラー戦だった。5分3Rのライト級タイトルマッチでエドガーが判定勝ち。 その試合を「“カリフラワー”の一部を蹴飛ばされた。ブロックの上を蹴りが抜けて何かが飛んでいって、それは私の耳の一部だった」と振り返る。 死闘のなかでベルトを巻き、TUFシーズン5のトライアウトに参加するも落選。しかし、その1カ月後の2007年2月『UFC 67』でUFC初参戦を果たし、ユライア・フェイバーに勝利するなど8連勝中だったタイソン・グリフィンに3-0の判定勝ちを収めた。「ファイト・オブ・ザ・ナイト」の激闘だった。 軽量級中心のWECがUFCへ統合されたのは2010年。2007年当時、UFCで最軽量はライト級だった。 「私はずっとUFCに行きたかった。私にとってUFCはMMAスポーツの頂点だったから、他の団体には行きたくなかったんだ。SpikeTV、Fox、ESPN、リーボックとナイキが絡んできた。今では、アメリカの4大スポーツと肩を並べられるようになったと思う。 MMAを始めたとき、MMAに出会ったような気がした。UFCに入ったばかりの頃は、ロレンゾ・フェティータ(CEO)が誰かも知らなかった。彼は私の試合後に話しかけようとして、最初は追い払ったんだ。彼らは『おい、それはダメだ。ロレンゾだぞ』って。私はまだ経験が浅かったんだ(苦笑)。私は配管工として働いていて、月曜日も仕事に行かなければならなかったから。MMAが楽しくて、上手くなっていって、そしてその味を知ったら、すぐにチャンピオンになりたかった。でも、殿堂入りは考えていなかった」 UFC3戦目、生まれ故郷のニュージャージーでスペンサー・フィッシャーに勝利した後、エドガーはようやく配管工の仕事からフルタイムのファイターになっている。 ◆BJ・ペン、メイナード、ベンヘンとの死闘──「ただ立ち去るつもりだった」 エルメス・フランカやショーン・シャークといった強敵を破り、2010年にBJ・ペンが持つ、UFC世界ライト級王座に挑戦するチャンスを得た。連続防衛を続けるペンに対し、エドガーは+620という圧倒的なアンダードッグとしてオクタゴンに向かった。 「緊張と不安と興奮でいっぱいだった。当時のBJにはオーラがあった。文字通り、誰も彼に戦いを挑もうとはしなかった。だから、トレーニングキャンプでは、“彼に勝てる”と自分を納得させなければならなかった。そして、試合の夜には“彼を倒せる”と信じていた。あのタイトルを獲得したことは、私のキャリアのピークのひとつになった。ベルトを腰に巻くことは特別なことだ」 妊娠8カ月の身重の妻も同行したアブダビでの5Rに及ぶスリリングな戦いの末、彼は驚異的な番狂わせを繰り広げ、判定3-0で勝利した。 ペンとの再戦でタイトルを防衛後、エドガーは2011年1月1日にラスベガスでもう一人の盟友、グレイ・メイナードと対戦した。その試合では、1Rにダウンを奪われ、KO負け寸前まで追い詰められるも驚異的なリカバリーを見せ、テイクダウンを奪い返して、ドロー。9カ月後のラバーマッチでも序盤にダウンを奪われたエドガーだが、4Rに右フックでダウンを奪い返しKO勝ち。3度目の王座防衛に成功している。 「私とグレイ・メイナードとの間のヒストリー、ノックアウト──本当に歴史に残る3部作のあのような力強いフィニッシュは、私のキャリアの中でも上位に入ると思う」 そして、2012年2月、さいたまスーパーアリーナでのベンソン・ヘンダーソン戦の死闘と再戦。ジョゼ・アルドとのフェザー級タイトル争い、マックス・ホロウェイとのチャンピオンシップ、2020年のバンタム級転向など、3階級の強豪たちと戦ってきたが、マルチディビジョン王者には届かなかった。 「私のチームの多くは、私がそこに座って『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のように『私は去らない、と言うだろう』と言うんだ。でも、私は『引退する』なんて言う男にはなりたくなかった。私はただ立ち去るつもりだった。でも、そうなる前に『引退する』と宣言することで、自分に責任を持たせることができるし、人生の次の章に進まなきゃいけないと思うんだ」 2022年11月12日、引退試合となった『UFC 281』でクリス・グティエレスと対戦し、左ヒザ蹴りで1R KO負け。オープンフィンガーグローブを置いた。