女子ケイリンで日本歴代最高順位! 太田りゆがパリ五輪の激闘を振り返る「持っているすべての力で走ってきた」
■netkeirin連載コラム「太田りゆ“ノーメイク”な私の本音」 読者の皆さん、今月もこんにちは! オリンピックを終えた太田りゆです! 今回のコラムは私にとってパリオリンピックがどのようなものだったのか? その結果報告をしようと思います。待ちに待って、望みに望んで勝ち取ったオリンピックの舞台。この8年の全てを懸けて、この日のために、ここを走るために生きてきました。 レース当日は「そんな日が本当に現実にやってきたのか」と不安や緊張はもちろんありました。でも、その不安や緊張の何倍もレースをすることへの覚悟とか高揚感が強かったです。今までの競技生活の中で1番自分に自信を持って、スタートラインに立ちました。
羨ましかった東京オリンピックの拍手
それでは、ここから1本1本を振り返ります。 2着までの選手が勝ち上がることができるケイリンの予選ラウンド。私は中団スタートから、後ろの動きに合わせて自力で前へ。目標にしたいオランダの選手も前に上がってきて、「よし!2番手確保!」と思いきや、私の後輪が1番手にいた中国の選手の前輪からは出切っていなくて、内側を抜かれてしまいました。 「あぁミスった」とは思いましたが、レース後にネガティブな気持ちは一切残りませんでした。「絶対に大丈夫。今のレースはかなり見えていた」という気持ちしかありませんでした。身体もよく動くし、気持ちも“今日の私、最高”という感じで、敗者復活戦は「絶対、勝てる!」と確信めいたものがありました。 そして敗者復活戦、私は1番前からのスタートでした。敗者復活戦も2着の選手までが勝ち上がるレースです。私は「2番手か3番手に飛びついて、その後勝負する」とプランを立てていました。そしてフランスの選手と対戦メンバーの中で1番目標にしたかったオランダの選手が私の前に来ました。「よし! 最終周のまくりはオランダに任せよう、そしてその先で自分が差す」と判断しました。時速70km近いスピードの中、瞬時の判断にも正確性が問われます。最後のゴール手前で、バッチリ計算通りに差しが決まり、「よし!1位だ!勝ち上がり!」と思ったと同時にジャンが鳴りました。 「え? 絶対ゴールじゃん…!」と確信はありましたけど、私は“競輪選手”。ジャンが鳴ったらあと1周もがく習性あり。結局は審判のミスだったんですけど、何がなんでも勝ちた過ぎる私は万が一自分自身のミスだったらと怖くて、何も考えずにもう1周もがきました(脚、使った…)。 それでも「別にいい! オリンピックの舞台をたくさん走れた!」と捉えることができました。私にとってオリンピックの舞台で走ることはやりたかったこと過ぎて、アクシデントも小さいことで気になりませんでした。『ディズニーランドは楽しくて、たくさん歩いても特に疲れない』みたいなモードに入っていたので、特に脚にダメージを感じたわけでもなかったんですよね。 何より、オリンピックの舞台で1位を取った瞬間の景色は本当に最高でした! ゴール後にものすごい数の観客席から聞いた事のないような声援と拍手。東京オリンピックの時、日本の選手が走るたびに、客席から地鳴りのような拍手が沸いていました。その応援を受ける選手たちのことを、私は「羨ましいな」って気持ちで見ていました。その3年後、フランスの地でその“羨ましかった応援”をもらったような気がして、心の底からガッツポーズ! 日本から応援に来てくれていた私のママは泣いていました。