【NISMOが設立40周年】 原点は大森ワークス! NISMOロードカーが生まれるまで
追浜ワークスと大森ワークス
日産自動車のモータースポーツブランド『NISMO(ニスモ)』が、設立40周年を迎えた。それを記念して9月17日、日産自動車と、NISMOブランドを受け持つ日産モータースポーツ&カスタマイズによる式典が、神奈川県横浜市の日産グローバル本社ギャラリーにて開催された。 【写真】NISMOの歴史と名車の数々をみる (100枚) 10月15日までグローバル本社日産ギャラリーでは『NISMO 40周年記念特別展示』と題して、『270R』や『400R』などのコンプリートカー、『アリアNISMO』や『フェアレディZ NISMO』などのロードカー、そしてモータースポーツシーンを彩ってきた『ニッサンR92CP』や『スカイラインGT-RグループAカルソニック』などのレーシングカーを展示。連日、日産ファンたちが見学に訪れている。 まずは、NISMO創設の歴史について振り返りたい。 日産自動車は創業まもない1936年、日本初の常設サーキットとしてオープンした玉川スピードウェイでのレース参戦からモータースポーツに挑み、1958年には、当時世界で最も過酷なラリーとして知られた『オーストラリア大陸一周ラリー』にダットサン1000セダンで参戦。クラス優勝を果たすなど戦いの舞台で技術を磨いてきた歴史がある。 その後、日産ワークスチームには、プロトタイプカーを主とした『追浜ワークス』とツーリングカーを主とした『大森ワークス』が存在したが、1970年代に入ると、レース活動は追浜ワークスが主体となり、大森ワークスはレース用パーツの開発と供給を担うようになった。 その大森ワークスを母体に、1984年に設立されたのが、NISMOの愛称で知られる『日産モータースポーツインターナショナル』だ。その後の、国内外のスポーツプロトタイプカー(グループC)レースや、R32型スカイラインGT-R(グループA)のツーリングカーレースなどの活躍は誰もが知るところ。つまり1990年代までは、生粋のモータースポーツ集団だったのだ。