『鬼滅の刃』“抑え”と“激動”の塩梅が素晴らしかった柱稽古編 劇場編への期待と懸念
約6分の“徒歩シーン”、劇場版への期待と懸念
・約6分の“徒歩シーン”から一変したアクションシーン さて、その無惨だが「柱稽古編」で特筆すべきはやはり彼の“徒歩シーン”ではないだろうか。第7話のエンディングラストで(厳密にいえばエンディング映像から歩いているわけだが)、約3分間もの時間を使って産屋敷亭に向かう無惨を描いている。多くのアニメが1話あたりOP曲とED曲込みで約23分の場合が多いことを踏まえると、この3分という時間がどれほど長い時間であるか想像に容易いだろう。それほどの時間を使い、スローモーションで産屋敷邸に踏み入る無惨を描くことで、彼の恐怖感を増幅させた。しかし驚くべきは第8話の冒頭でまた、約3分を使って無惨が産屋敷の元に歩いていく様子を描いたこと。流石に度肝を抜かれてしまった。 言ってしまえば、いくらキャラクターの深掘りが重要だからといっても映像的な観点では、アクションシーンがたびたび話題を呼ぶ本作の中で比較的ダイナミックさに欠けていた「柱稽古編」。そこでさらに間伸びしかねない演出を重ねる選択はかなりの賭けだったように感じる。しかし実際、その「抑え」があったからこそラストの爆発シーンからのインパクトが際立った。そこから重ね重ねに展開される珠世の血鬼術、悲鳴嶼による頭部破壊シーン、再生した無惨と悲鳴嶼の攻防は圧巻そのもの。加えて産屋敷と無惨の静かなセリフのやり取りが続いた後に響く珠世の感情のこもった啖呵は、坂本真綾の演技も相まって心に突き刺さる素晴らしいものだった。このように1話の中で映像と音の両側面で緩急を持たせ、「抑制」と「衝動」の効力を最大限に引き出した演出には、ただただ脱帽である。 ・劇場版三部作に向けての期待と懸念 産屋敷の最期は、彼の思惑通り柱たちの士気を高めた。一斉に無惨に襲いかかる柱と炭治郎の迫力も凄まじかったが、鳴女の血鬼術により一気に地面が底抜けて無限城に突き落とされる演出も鳥肌もの。シーンに琵琶の音色がついたことで、原作漫画のコマよりもその衝撃性と絶望感が色濃くなっている。 炭治郎たちに限らず、一気に鬼殺隊を始末しようする無惨の思惑によって炭治郎に限らず遠く離れた場所にいた嘴平伊之助や我妻善逸、不死川玄弥に栗花落カナヲなど、多くのキャラクターが城内に引き込まれてしまった。特に、何らかの報せを受けてから人が変わったように沈黙を貫く善逸は気になる存在である。これから劇場版三部作という形で壮絶な戦いが描かれる「無限城編」だが、そのアクションシーンが大きなスクリーンで堪能できるのはやはり楽しみだ。特に、劇場版でなくたって「遊郭編」や「刀鍛冶の里編」そして今回の「柱稽古編」のラストのようなハイクオリティの作画や演出を地上波アニメのフォーマットで提供してきたufotableだからこそ、劇場版だからこその迫力には期待が高まる。 一方、少しだけ懸念があるとすればそれは劇場版の対象年齢である。もし原作通りの出来事を、同じような描写で見せていくのであればその残酷さから、レイティングがR15+になっても不思議ではないのだ。「無限列車編」の程度でPG12だったことを考えると、大いにあり得る。しかしそうなった場合、小さい子も親と一緒に観ることができ、家族でのリピーターが多かった「無限列車編」と比べて興行収入的に苦戦を強いられる可能性が出てくる。だからと言って、ではPG12指定になるように作品の演出を“調整”すれば、本来の描写を求めるファンが観たいものは観られない。この塩梅をいかにクリアしていくのかが、やはり「無限城編」の大きな課題となるのではないだろうか。 作品が何年単位で公開されていくのかも気になるところだが、今は美しく締めくくられた「柱稽古編」の余韻を噛み締めつつ、続報を待ちたい。
ANAIS(アナイス)