<熊本地震>黄・赤紙の家はボランティアが手伝えない 孤軍奮闘の片付け
「うちは赤紙じゃったもんね」。約300人が避難する熊本県西原村の河原小学校では、「赤紙」「黄紙」「緑紙」という言葉が飛び交うようになった。家屋の倒壊や瓦の落下などの危険性の度合いを判定した結果の紙が各戸に貼られたのだ。被災者には高齢者も多く、若手が家屋の片付けに協力しようという動きも出ている。 赤紙は「危険」(建築物に立ち入らないこと)、黄紙は「要注意」(立ち入りには十分注意すること)、緑紙は「調査済み」(使用可能)を示す。
村の調べによると、本震翌日の17日現在、建物全壊が344戸、半壊1087戸に上る。 高台に建つ、86歳の女性の平屋は、敷地の一部が崩壊するおそれがあるとして「赤紙」が貼られた。久しぶりに晴れ間が見えた26日、女性は避難先から自宅に戻った。歪みが生じたのか、引き戸が開かない。同行した知人男性がトイレの窓を割って、なんとか中に入った。台所は、食器棚から落ちた食器などで足の踏み場もない。ベッドを置いた部屋では洋服ダンスが倒れていた。 「たまがった(驚いた)。せめて仏壇が無事でよかった」 3年前に夫が亡くなり、一人暮らし。一人で約2時間かけて、なんとか居間と仏間をほうきで掃いた。被害が甚大な隣町の益城町に住む一人息子の自宅も被災。すぐには手伝いには来られない状況だ。 「これ以上は一人では片付けられんな」と女性はため息をついた。
集落を歩いた。形をとどめない全壊状態の家屋や、崩壊した石垣を目にした後、ブルーシートが屋根にかけられた家の横を通りかかった。一見、その家は安全そうに見えたが、風にあおられると壊れた瓦の一部がばらばらと落下してきて、恐怖を感じた。 平地に建つ91歳男性宅の納屋では、甥の永田陸史郎さん(66)が親せきたちの手を借りて屋根の瓦を撤去していた。ここにも赤紙が貼られていた。隣家に倒壊するおそれがあると判定されたため、まずは瓦を取り除くことにしたという。 「ここあたりは、年寄りばかりだけど、彼らに作業はできんでしょうが」 永田さんは本震の翌日17日から、男性宅を含め計6軒で解体や撤去作業を手伝っている。 男性の妻は10日に死去。その6日後に起きた本震で西原村は大きな被害を受けた。まだ断水が続き、自宅も壁がひび割れるなどしているが、住み慣れた家がいいと自宅で生活している。 「妻が亡くなったり、こんな地震が起きたり、おおごとが続いた叔父には、少しでも安心して、おいしい焼酎ば、飲んでほしいけん」と、永田さんは作業を急いだ。 ある平屋では、男性(76)が、屋外に運び出した家具を残念そうに眺めていた。自慢の仏壇も含め、廃棄する予定だ。屋根には、割れた瓦が多く残る。玄関先には「赤紙」が。 「行政のボランティアには頼れんけん、自分たちでするしかなか」