『SHOGUN 将軍』なぜ海外で人気に? “違和感”の先にある美術設計と脚本構成力
『SHOGUN 将軍』は、第76回エミー賞で18部門受賞という新記録を打ち立てた。制作を牽引した真田広之の功績とキャリアを真っ先に讃えたいところだが、それについては他の記事に詳しいので、ここでは、本作がこれほどの賞賛と人気を集めたのはなぜか、その魅力を筆者なりに語ってみたい。 【写真】日本人初となるエミー賞の最優秀主演女優賞を獲得したアンナ・サワイ すでにあちこちで語られていることだが、この作品の成功の前提として、東アジア系の俳優が出演する字幕付き作品が、米国の視聴者に受け入れられやすくなっていたという事実がある。ともすれば「東アジア系の俳優は見分けがつかない」「字幕を読むのは面倒だ」と思われていたのが、映画『パラサイト 半地下の家族』のアカデミー賞受賞、Netflixシリーズ『イカゲーム』のヒット、さらには、コロナ禍の期間中にさまざまな言語の作品を配信で観たことにより、抵抗が薄らいだというのである。主演女優賞を受賞したアンナ・サワイの役は台詞のかなりの割合が日本語、主演男優賞の真田広之に至っては日本語の台詞しかない。英語以外での演技がこれほど高く評価された例は米国エンタメ界の歴史に多くなく、しかも主演2部門を受賞したとあっては、ちょっとした地殻変動まで予感させられるのだが、この快挙も、いま述べた背景があってこそのことだろう。 だが、東アジア系の俳優および字幕に対する慣れというのは、あくまで成功の前提であって、理由にはならない。また、オーセンティックで豪華な美術装置や衣裳、メイクアップが醸し出す、エキゾチックな魅力が米国の人たちの目を惹いたという側面もあるだろうけれど、それだけでこれほど広範な注目を集められたはずがない。ではどうしてか。最大の理由は極めて単純。何よりもまず『SHOGUN 将軍』は、連続ドラマとしてめっぽう面白いのだ。 とはいえ、日本の古くからの時代劇映画や時代劇ドラマを見慣れた人が本作を見はじめると、最初は微妙な違和感をおぼえるかもしれない。報じられているとおり、プロデューサー真田広之らの奮闘により、このドラマには正統な時代劇のルックができるだけ再現されている。しかし、限りなく本物に近いぶん、「不気味の谷」現象よろしく、ほんのちょっとしたずれが気になる人もいるだろう。一部俳優の声の高さやトーンが気になる人もいるかもしれない。あるいは、日本建築の室内での人物の配置、撮影するカメラの高さとアングル、レンズの選択、編集のリズムに首をかしげる人もいるだろう。 だがそうなってしまった場合も、そこでやめることなくもう少し観つづけてほしい。そうした違和感は徐々になくなっていく。わたしたちが慣れるからなのか、制作側がどんどん改善するからか。おそらく後者の理由のほうが大きいだろう。違和感をくぐり抜けたら、もう視聴を止めることはできない。このドラマの脚本構成力が抜群だからだ。 第1話の後半、のちに按針と呼ばれることになるジョン・ブラックソーン(コズモ・ジャーヴィス)らを乗せた船が嵐に見舞われる。観る側もがぜん力の入るこの場面を切り抜けたあとも、海中に落ちたポルトガル人船員の命をいかに救うかというサスペンスが続く。こうした嵐などの自然災害だけでなく、戦いをも含めたスペクタクルがほぼ全エピソードにある。また、基本的なことだが各話の終わり方も、後を引くようにできていて上手い。 設定からすればこのドラマは、按針がミステリアスな国・日本を探索する『不思議の国のアリス』的な物語になりそうなものだ。ところが本作は、数回のスペクタクルで惹きつけたあと、ここまで来たらもう大丈夫だろうというかのように、ある時点から思い切って日本人キャラクター同士のドラマに注力しはじめる。按針が介入することはおろか、立ち会うこともないままプロットが展開することはざらである。 派手な見せ場はあるものの、日本人キャラクター同士の心理的駆け引きが物語のほとんどを占めているわけだが、心理描写の点でもこの脚本と演出は優れている(特にシリーズ中盤以降)。人物の心理は簡潔な身振りと視線で表現され、説明的な台詞でドラマの流れが停滞することはない。一方で、日本語の台詞と英語の台詞の両方に言えることだが、どれも切り詰められたぶん、重みと濃密さを帯びている。警句にも似た、真似したくなる名台詞も多い。