フセイン政権崩壊10年 イラクは今どうなってるの?
11月20日、イラク各地でテロ事件が相次ぎ、全土で約90人が死亡しました。イラク戦争から10年。新生イラクに治安権限を委譲し、米軍は2011年12月に撤退しました。しかし、その前後にテロ発生件数は一旦減少したものの、イラクでは再び治安が悪化しており、国連イラク支援団の報告では10月だけで約千人が死亡しています。イラクで今、何が起こっているのでしょうか。【国際政治学者・六辻彰二】 【写真】「フセイン、地獄へ堕ちろ!」 バグダッド陥落
フセイン元大統領は2006年に死刑
2003年3月、米国は「フセイン政権が大量破壊兵器を保有している」と主張し、イラクを攻撃しました。これにより、フセイン政権は約1ヵ月で崩壊。拘束されたフセイン大統領は、イラク国内での裁判の結果、2006年12月に死刑となりました。 フセイン政権の崩壊後、暫定政府が作成した新憲法に基づき、2005年12月に議会選挙が実施されました。翌年5月には、マーリキー首相を首班とする内閣が成立。これにより、イラクでは歴史上初めて、普通選挙による政府が樹立されたのです。
シーア派vs.スンニ派の対立激化
しかし、その後のイラクでは、宗派間の対立が激化しています。イラクでは人口の約6割をシーア派が占め、イスラーム世界全体での多数派であるスンニ派は約2割です。一方、主な収入源である石油は、シーア派が多く暮らす地域で産出されます。フセイン政権は「イラク」としての一体性を強調し、中央集権体制を構築しましたが、結果的には政府に入る石油収入が、フセイン大統領自身の出身であるスンニ派に優先的に配分されました。 しかし、この構図は新生イラクで逆転。宗派間の融和が謳われたものの、マーリキー首相をはじめ政府の要職はシーア派が占めています。フセイン体制の崩壊で、スンニ派は政治的、経済的に疎外感を深めているのです。今年4月以降、テロ事件が相次いでいるのは首都バグダッド周辺と北部地域ですが、いずれもシーア派が多い地域です。
アルカイダ系が自爆テロ
イラクでの対立を加熱させているのが、周辺国からの影響です。なかでも隣国イランは、国教がシーア派で、さらにフセイン政権の迫害を逃れた多くの人を受け入れていた経緯から、大きな存在感をもつに至っています。2010年3月の議会選挙で第三党になったイラク国民同盟は、議員の多くがイラン亡命経験をもちます。しかし、イランの影響力は、イラクのスンニ派が警戒感を強める要因になっています。