カルメン・マキをブレークさせた 「やらせ」と「捏造」の違いも言いましょうか 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<17>
《『時には母のない子のように』(昭和44年)の大ヒットで紅白歌合戦にも出場した歌手のカルメン・マキ(73)はひょんなことで誕生した》 彼女が最初にテレビに出演したのは、東京12チャンネルのドキュメンタリー番組『わたしたちは…~カルメン・マキの体験学入門~』(44年)。寺山修司(※1935~83年。詩人、劇作家。劇団「天井桟敷」を主宰した)の劇団の新人女優で、空想的な体験を詩に書いていた。その通りに再現してみよう、と僕は考えたわけ。 例えば、裸になってパンを食べる、歩道橋でキスをする、歌手になる…といった詩の内容を実際に3畳一間のアパートを借り切って、彼女と恋人役になってもらった劇団の男優がやってみせるんです。僕らはそれを映像として撮る。いわば実験的なドキュメンタリーかな。 せっかくだから、歌手になる…のところは寺山さんに詞を書いてもらい(作曲は田中未知)、レコード会社に売り込んだ。それが『時には…』。歌は100万枚を超える大ヒットとなり、その年のNHKの紅白歌合戦にも出場しました。 番組をつくっているうちに、想定していなかったような、いろんなハプニングも起きましてねぇ。まぁ、どんどん「問題」が広がることは、いいことですけど…。彼女は素材として面白い存在でした。 《田原さんの手法は「ドキュメンタリーとは何ぞや?」という問題にぶつかる。あるいは「やらせ」と「演出」の差。もっといえば「捏造(ねつぞう)」とは、どこが違うのか?》 ありのままの姿をカメラで撮るのがドキュメンタリーなのか? もちろんそんなやり方もありなんでしょうが、僕の考えではカメラが介在した段階で、それはもう〝ありのまま〟ではない。撮られる方は意識や緊張もするし、演技をしてしまうかもしれないでしょ。 面白い番組をつくるのには、いろいろな「刺激」を加えた方がいいと思う。ディレクターが「土俵」をつくって、後は本人(被写体)にやらせる。それを批判するのなら、ケンカすればいいじゃないですか。前にも話しましたが、今の番組制作者は、批判を恐れ過ぎている気がしますねぇ。 「やらせ」と「捏造」の違いも言いましょうか。どんどん事件(問題)が起きることを求めてやるのが「やらせ」。一方「捏造」は事件を隠そうとすることです。僕はタブーを恐れずガンガン「事件」を起こすようにした。そのためならば(ディレクターの)僕は、たとえ殺されてもいいくらいの覚悟で番組をつくってましたから。