フランス磁器の都「リモージュ」が日本の伝統工芸「金継ぎ」を再解釈したら…
ワインだけじゃない「鏡の街」ボルドー
2007年、ユネスコの世界文化遺産に「月の港」として登録されたボルドーは、たしかに三日月のような形をしている。ガロンヌ川のカーブに沿って発展したその街は、言わずと知れた「ワインの都」。英国領だった時代、英国本土などへのワインの輸出で栄えた。コニャックやアルマニャックも近く、蒸溜所やワイナリー巡りの拠点として多くの観光客が訪れるにもかかわらず、ボルドー自体は素通りされてしまいがちだ。 「パリに似すぎている」のも、ある意味問題かもしれない。その美しい街並みから「プチ・パリ」とも言われているが、現地の観光ガイド、カトリーヌに言わせれば、「ボルドーが先で、パリが後!」なのだという。 たとえば、ボルドー国立歌劇場(グラン・テアトル)は、ルイ16世時代に活躍した建築家ヴィクトール・ルイの代表作で、18世紀に建てられたもの。この歌劇場を見て影響を受けたシャルル・ガルニエが、19世紀にパリのオペラ座を設計。さらに、都市大改造によって現在のパリの原型を作ったとされるジョルジュ・オスマンも、セーヌ県知事に就く前、ボルドーにいたのだという。「パリの街並みが好き」だと語る人にはぜひ、「本家」ボルドーにも足を運んでもらいたい。 ボルドーの歴代市長には敏腕政治家が多いとカトリーヌは話す。日本人の感覚からすると少し不思議に思えるが、フランスでは国政に携わった政治家が、その後一都市の市長に就くケースがある。50年(!)にわたってボルドー市長を務めたジャック・シャバン=デルマスや、街を大きく変革し、世界遺産登録を後押ししたアラン・ジュペは元首相。 ジュペの時代に、排気ガスの汚れや微生物の蓄積によって黒く煤けていた石造りの建造物は真っ白に掃除され、市内を走るトラムも開業した。パリからのTGVも開通したいま、ボルドーは、人の暮らしに適した「歩ける」サイズの街として、毎年1万人が移住してくるらしい。
日本の「金継ぎ」を再解釈するリモージュ
ボルドーからTER(急行鉄道)で3時間弱、ヌーヴェル・アキテーヌ第2の都市リモージュへ。パリから行くならアンテルシテ(特急電車)で3時間半だ。電車を降りた人々を出迎えてくれるのは、フランスで「もっとも美しい駅」の一つ、リモージュ・ベネディクタン駅。シャネルの香水「N°5」のCM撮影にも使われた駅構内では、少し足を止めて頭上に広がる美しいステンドグラスを眺めてほしい。 まずはリモージュの歴史を簡単に紹介しよう。リモージュにはもともと、二つの独立した街があった。サン・テティエンヌ大聖堂を中心にした聖職者の街「シテ地区」と、市民の街として栄えた「シャトー地区」、二つの街はフランス革命後に統合されるまで、それぞれが城壁を築き、政治的にも対立していた。 ヌーヴェル・アキテーヌを旅していると、何度も耳にする言葉が「百年戦争」である。ボルドーもかつて英国領だったことには触れたが、リモージュも英国軍の支配下に置かれ、虐殺や略奪などの憂き目に遭った。その後始まる宗教戦争、フランス革命などの影響で、サン・テティエンヌ大聖堂も、11世紀から600年以上かかって完成したという歴史を持つ。 18世紀、リモージュの産業に大きな影響を及ぼす出来事が起こる。白磁の原料となる鉱物「カオリン」が見つかったのだ。中国磁器やドイツのマイセンに続けと、当時、フランス中が求め探していたものだったらしい。もともとエマイユ(七宝焼き)の生産地だったリモージュは、その窯や技術を活用することで、カオリンを使ったポーセレーヌ(磁器)製造を瞬く間に発展させ、まもなく国王の保護も受けるほどになる。 いま、ユネスコの「創造都市」に認定されたリモージュは、時とともに風化・欠損した建造物の一部を、名産の磁器で「継ぐ」取り組みをしている。日本の「金継ぎ」にインスピレーションを受けたこのプロジェクトは、欠損した部分をただ貼り合わせるのではなく、金継ぎのように新たな意匠を施すもの。 ここで金の代わりに用いられるのは、「ブルー・ドゥ・フール」と呼ばれる濃紺の磁器だ。それが、もともとマリア像があった建物の窪みや、庭園の手すりの柱など、欠けた部分を補いながら街に彩りを加える。現在15ヵ所にあるというブルー・ドゥ・フー、街歩きをしながら、宝探し気分で探してみてはどうだろう。 こうして「焼き物の街」の印象が根付いたリモージュだが、革製品の存在も忘れてはならない(リモージュが位置する旧リムーザン州は、古くから牧畜が盛んで、リムーザン種はフランスのブランド牛の一つでもある)。日本でも人気のシューズブランド「J.M. WESTON」の生まれ故郷であるだけでなく、エルメスもリモージュ近郊の工房で革手袋を作っている。さらに、こうした企業の余剰革を使ってスニーカーの製造販売をおこなうブランドも登場するなど、「革の街」としてもフランスを代表する都市なのだ。 何世紀にもわたる伝統が、いまも生き続けているのは、上記の金継ぎしかり、外からの「新しい風」を柔軟に受け入れてきたから。伝統と革新、そんなリモージュらしさを肌で感じられるスポットへ。