貴乃花、横綱の地位は「苦しかった」 正々堂々戦い続けた15年
強くなりたい。ただ、その一心で真摯(しんし)に土俵に向き合い続けてきた。初土俵から約15年にわたってファンの注目を集め、名勝負を繰り広げてきた第65代横綱の貴乃花光司さん(52)。期待と重圧の中で綱を務めることは「苦しかった」という。日本相撲協会を離れて6年。「平成の大横綱」が自らの相撲人生や今後について語った。 【動画】強行出場した優勝決定戦を振り返る貴乃花光司さん 優勝回数は歴代6位の22度を数え、1995年初場所から65人目の横綱として角界を支えてきた。現役生活の晩年はけがに悩まされ、2003年1月に土俵生活に別れを告げた。引退から21年がたち「関節のほとんどが痛んでいます。(日課の)四股を踏み、古傷が痛むたび、体重が200キロを超える相手に負けて悩んだり、修正して次につなげたりした日々が浮かんできます」。貴乃花は遠くを見つめながら懐かしそうに当時を振り返った。 15歳で入門し、順調に番付を駆け上がった。1990年夏場所で史上最年少入幕(17歳8カ月)を果たすと、2年後の92年初場所で初優勝。19歳5カ月での賜杯(しはい)は最年少記録だった。そして、94年九州場所で2場所連続全勝優勝で横綱昇進を決めた。以降、49場所にわたって番付最高位に君臨し続けた。 横綱の地位を守ることは貴乃花にとって、自分との戦いだったと言う。「苦しかった」。「唯一誇れることがあるとすれば、自らの信念に従い、それを貫いてこられたこと。力士は武器を持たない力人として正々堂々と戦うことが求められ、それを自らの軸として、高みを目指してきた」。 多くのファンの印象に残るのが、2001年夏場所千秋楽の武蔵丸との優勝決定戦。貴乃花は14日目の武双山戦で、右ひざの半月板を痛め、翌千秋楽に強行出場。本割では武蔵丸に敗れたものの、優勝決定戦では武蔵丸を上手投げで破り、22度目の優勝を飾った。「休場なんて頭にありません。これで引退できたらいい、この取組が最後になってもいいという気持ちだった」と明かした。 18年に日本相撲協会を退職。今は社団法人を設立し、相撲文化の普及活動に力を入れる。「相撲人生を通して土俵の中で学び取れたものはたくさんある。横綱貴乃花としてやってこられたものを何かでお返しできればと思っています」と語った。(榊原一生)
朝日新聞社