【仰天野球㊙史】メジャー史上最高の遊撃手オジー・スミスは自ら出した《職 求む》の新聞広告で「オズの魔法使い」になった
【仰天野球㊙史】#7 先日、1939年の映画「オズの魔法使」で女優ジュディ・ガーランドが履いた“ルビーの靴”がオークションに出され、映画関係の品で最高の2800万ドル(約42億円)で落札された。 【写真】消えゆくベーブ・ルース「日本初本塁打」のナゾ…地方の山奥球場で描いた120m級の特大アーチ このニュースを聞き、往年の大リーガーの逸話を思い出した。今回はこれを伝えたい。 今も“メジャー最高の遊撃手”と称される、オジー・スミスの話だ。彼のニックネームが「オズの魔法使い」だったことは、古くからの野球ファンならご存じだろう。 試合が始まる前、守備位置に就く際に軽やかにバク宙したスミスは、プレーボールとなると、左翼手の前からジャンピングスローで打者走者を一塁でアウトにするなど、ケタ外れのプレーを見せた。なにしろ「オジーのグラブで2点は防ぐ」と評価されたほど。 これは、カージナルス時代(1982~96年)の栄光なのだが、実はパドレス時代(78~81年)は、球団から守備力を無視され、打率2割5分がやっとの貧打を追及された。年俸を抑えられたスミスがそこで大バクチを打つ。それが、地元新聞へ自ら出した“広告”の掲載だった。 「職 求む」 それを見て反応したのが「守れる遊撃手」を探していたカージナルスだった。交換要員はギャリー・テンプルトンという走攻守の三拍子が揃った遊撃手。79年にリーグ最多の211安打、それも史上初の左右両打席100安打を記録したスターだったが、ファンに暴言を吐いて出場停止処分を受けるなどのトラブルメーカーで、渡りに船と厄介払いに成功した。 スミスは移籍したシーズンにワールドシリーズに出場して優勝。87年には打率3割をマーク、大谷翔平で広く知られるようになったシルバースラッガー賞(遊撃手)に選ばれるなど打撃力も上昇し、88年には大リーグ最高年俸選手となった。 通算2460安打、580盗塁。遊撃手として歴代最多の13年連続でゴールドグラブ賞を受賞したスミスの「背番号1」は、引退後すぐにカージナルスの永久欠番になった。2002年には資格1年目で殿堂入り。安価な新聞掲載料が大化けし、まさに魔法使いのような大出世を果たした米国人のアメリカンドリームだった。 (菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)