株式会社りそなホールディングスにどうしてB.LEAGUEのタイトルパートナーになったのか聞いてみた
Bリーグは発足以来初のタイトルパートナーとして、株式会社りそなホールディングス(以下、りそなグループ)を迎え入れることを2024年7月1日に発表した。これにより9シーズン目となるBリーグは「りそなグループ B.LEAGUE 2024-25シーズン」として新シーズンの幕をあける。この提携は、6月末に発表があったBリーグの中期経営計画やこれまでの歩みに対する、りそなグループの賛同があってのことだ。 なぜ、野球でもサッカーでもバレーボールでもなくバスケットボールだったのか?Bリーグが掲げる理念のどこに賛同のポイントがあったのか…。素朴な疑問をぶつけるべく、タイトルパートナーとして、日本のバスケットボール界そしてBリーグを支えるために手を挙げた株式会社りそなホールディングス取締役兼代表執行役社長兼グループCEO南昌宏氏に話を聞いた。 インタビュアー=村上成
■ 野球に情熱を注いだ少年時代と痛烈な思い出
――Bリーグとタイトルパートナー契約を締結されましたが、まずは南社長のスポーツに対する思いや、スポーツとの関わりを教えていただけますか。 南 小学生の頃から、もともとスポーツが大好きでした。今でも本を読むことと、スポーツを見ることは好きで、特に球技が好きですね。サッカーもラグビーも大好きですし、もちろん、バスケットボールを見るのも好きです。 競技面では、小学校の時は野球をやっていて、ポジションはピッチャーでした。小学6年生からはボーイズリーグで硬式野球をはじめて、中学校3年生までプレーしていました。自慢ではないですが、所属していたチームが強く、中学3年生の時に和歌山県代表として全国大会にも出場しました。決勝まで勝ち上がりましたが、私のエラーがきっかけで負けてしまいました。私がエラーしていなければ、おそらく全国制覇ができていたので、チームメートにあわせる顔がありません…(笑)。いまだに覚えているので、自分の中では強烈な思い出ですね。 ――小学生時代から硬式野球。中学では全国大会準優勝とは、かなり高いレベルでプレーされていたんですね。 南 小学生の頃は本気でプロ野球選手を目指していましたが、中学時代に「プロは無理だ」と悟りました。他チームに吉井理人さん(元ニューヨーク・メッツ他/現千葉ロッテマリーンズ監督)がいて、彼の球を見てレベルが違うと思いました。吉井さんは、中学生の時点で身長が180センチくらいありましたし、変化球も良かったですし、こういう人がプロの道に進むのだ、と思いました。 ――15歳で挫折のような経験をされたんですね。 南 やっぱり全国大会に出るとすごい選手たちがいるんですよ。努力する才能は当たり前であり、その上に天賦の才を持つ人がいて、さらに奇跡的に努力できる人もいる。あとは運とか縁もあり、その先にプロに進めるのではないか、と中学生の時に悟りました。子供ながらに痛烈に思いました。高校に進学後は、ハンドボールをやりました。ハンドボールを選んだ理由は、当時、和歌山県には4つ程度しかチームがありませんでした。チーム数が少ないので、もしかしたら優勝できるのではないか、と思い、自分でチームを作りました。しかし練習を真面目にしていなかったので、結局勝てなかったですけどね(笑)。