辻本茂雄、今があるのは寛平兄さんがつっこませてくれたから
今年、芸能生活30周年を迎えた吉本新喜劇座長の辻本茂雄さん(52)。記念興行「茂造の絆」(4月25日~5月8日、京都・よしもと祇園花月)や全国ツアーも開催します。自身の代名詞ともなったキャラクター・茂造じいさんが大人気で、辻本さんの出演舞台はチケット入手が困難になるほどの状況ですが、これまでの道のりを支えてきたのは新喜劇の先輩・間寛平さんだと言います。 【拡大写真付き】新喜劇座長・川畑泰史が語る!「小籔は一番エエヤツ」
恩人は、なんと言っても、間寛平兄さんです。 1989年、当時組んでいたお笑いコンビを解散して、新喜劇に入りました。ただ、最初はなかなかレギュラー的に出ることができなかったんです。2年くらい経って、やっと、やっと出てきたチャンスがアゴネタ。僕がアゴが出ているということから「おい、ペリカン!!」「アゴ本!!」「フランスパンくわえてんのか!?」とか、そういうやりとりで、なんとか出番がもらえるようになりました。 ただ、出るパターンはいつも一緒。借金取りの役で現れて、アゴネタをやって、サッと引き上げる。出してもらうのはありがたいけど、ずっとその流れで、ホンマにエエんやろうかと…。毎回同じことやし、本筋に絡む役ではないので自分がいなくても芝居は進む。同期は芝居の軸となるような役もやり出しているのに…という焦りもある。 なので、アゴネタをやりだして2年くらい経った頃、考えに考えて、思い切って当時の新喜劇のプロデューサーに言いに行ったんです。 「…すみません、アゴネタやめたいんです」と。すぐさま「何を言うてんねん!!お前、アゴネタしかないやないか。アゴネタやめたら仕事なくなるぞ」と言われましたけど「それでもやめたいんです!!」と言ってやめたら、ホンマに仕事がなくなりました(笑)。
3か月くらいほぼ休みの状況になって、ま、後悔もしたんですけど、それでも、やっぱり僕がやりたかったのは主役であり、周りをつっこんでいく司令塔みたいなことやと。なので、時間だけはできましたんで、新喜劇の興行を1日3回舞台袖から見て、自分なりにどうやってつっこむのか、どうやって話をまわしていくのか、そういうシミュレーションをしていました。 そんな中、寛平兄さんが座長を務める広島県の公演で、スケジュールの問題で参加できなくなったメンバーが出たと。その代役として僕が選ばれたんです。これもまた巡りあわせというか、僕はずっと休みの状態やったんで、すぐに呼べるということでお声がかかったんです。 そして、それが寛平兄さんの公演やったというのが本当に大きかった。寛平兄さんからは「辻本、ホンマに、好きにやったらエエからな」と言ってもらって、自分がずっとシミュレーションしてきたことをどんどん入れ込んだんです。 すると、その後、寛平兄さんがいろいろな人に「辻本のツッコミ、ホンマにおもしろいで」と言ってくださり、NGKの新喜劇でもつっこんだり、芝居をまわしたりする役が来るようになったんです。さらに、メディア的なところにも寛平兄さんの言葉が届いたのか、やしきたかじんさんや上沼恵美子さんの番組にも出してもらうようになり、レギュラー番組も8本ほど持たせてもらえるようになりました。