辻本茂雄、今があるのは寛平兄さんがつっこませてくれたから
寛平兄さんは、とにかく、とにかく、優しい。そして、人の悪口は絶対に言わない。困っている人間がいたら、どうにかして助けようとする。まさに、僕もそうやったんですけど、例えば、公演が終わってご飯を食べながら話をしていたら、寛平兄さんが「辻本、お前、もっとここを頑張ったらエエと思うねん」とアドバイスをくれる。それだけでもありがたいんですけど、普通はそこまでじゃないですか。寛平兄さんはそこから先があって「だから、今度、一緒にこんなイベントやろうか」とそこまで言ってくれるんです。当然、それは僕のための時間であって、寛平兄さんが得をすることなんてない。それなのに、損得考えず、人のために自分が動くんです。 ただね、舞台で絡んでいる時は、ホンマに、大変ですよ(笑)。3分の1はアドリブですからね。それに対して、こっちも一つ一つ瞬時につっこんでいくんで、必死です。舞台裏では酸素を吸いながらやってますから(笑)。 一回、寛平兄さんと15分ほどのコントがありまして、始まってすぐ、寛平兄さんが間違えて最後のオチのセリフを言ってしまったんです。まさかの展開やったんで、急きょ「それ幕締めのオチやないか!!もう一回やり直しや!!」と言って最初からコントをやることにしたんですけど、最後の最後、本来の場所でもう一回そのセリフが出た時に「そのセリフ、ここで言うんや!!」と僕がつっこんだ時の笑いはすごかった。普通ではありえないボケというかなんというか、寛平兄さんやからこそ生まれる笑いですわね。 よう考えたら、最初の広島公演でも、僕が「考えに考えまして、実はアゴネタをやめまして…」と説明していたのに、芝居が始まってすぐ、うどん屋のシーンでいきなりカマボコを投げてきて「おい、ペリカン、食え」って言うてましたね(笑)。 ホンマに、ボケを超えたボケをされる。だからこそ、僕も心の底から思いっきりつっこめる。その結果、今の自分を作ってもらった。こんな出会いがあるんやなと、ただただ、感謝するばかりです。 ■辻本茂雄(つじもと・しげお) 1964年10月8日生まれ。大阪府阪南市出身。和歌山北高校時代は自転車競技で高校選抜大会3位など、全国レベルの選手として活躍。競輪選手を目指すも、足に腫瘍が見つかり断念。86年、大阪NSCに5期生として入学し、漫才コンビ「三角公園USA」を結成する。89年にコンビ解散後、吉本新喜劇に入団。99年、座長に就任し、2004年には上方お笑い大賞を受賞した。新喜劇以外にも、NHK連続テレビ小説「あさが来た」などにも出演する。今年芸能生活30周年を迎え記念興行「茂造の絆」(4月25日~5月8日、京都・よしもと祇園花月)や全国ツアー「絆で30周年記念ツアー」(5月27日、熊本県立劇場演劇ホールからスタート、全国十数カ所で公演予定)を開催する。 ■中西正男(なかにし・まさお) 1974年、大阪府生まれ。大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、関西の人気番組「おはよう朝日です」などに出演中。