「爬虫類型宇宙人が地球を支配している!」荒唐無稽すぎる陰謀論をバカにしてはいけない本当の理由…
ある革命思想家が輸入した陰謀論
――「レプティリアン陰謀論」ですか? イギリスの著述家であるデイビッド・アイクが提唱したものなんですが、アイクによれば、人類の文明は地球内部の空洞に生息する爬虫類人型宇宙人「レプティリアン」によって築かれ、人間と交配することでレプティリアンの交配種を代々増やし、すでにレプティリアンと、その交配種は世界の支配層を牛耳っており、政治やメディア、軍事、医療などを意のままに操っているという陰謀論です。 ――いくら何でも荒唐無稽すぎます……。 たしかにそうです。しかし、このレプティリアン陰謀論の日本における受容過程を追っていくと、実は興味深い思想的な背景が見えてきます。 アイクのレプティリアン陰謀論は自己啓発的なスピリチュアリティの色合いが濃く、最後には個人の意識改革へと収斂していきます。 しかし、それが革命思想家の太田竜によって日本に輸入される過程で、強い政治性を帯びていくことになりました。
革命にはレプティリアンが必要だった?
――太田竜とはいったいどんな人物だったのでしょうか、そしてなぜレプティリアン陰謀論を唱えたのですか。 太田竜は1930年生まれで、終戦直後に日本共産党に入党したのを皮切りに、トロツキスト、アナキスト、アイヌ解放論者、エコロジストなど、2009年に逝去するまでさまざまに立場を変えながら政治運動を続けた人物です。 太田の思想の根本にあるのは人間主義的なマルクス主義でした。「人間は常に自然に否定され、その矛盾を乗り越えようとする存在である」という人間観に基づいた思想です。 この思想に強い影響を受けて、太田は1940年代後半から政治活動を開始しました。 しかし太田のマルクス主義思想が時代に合っていたのは1960年代頃、学生運動や労働運動が盛んで、それらを通じて権力や資本主義と闘争する機運が社会のなかに残っていた頃までした。 1970年代以降、かつては社会に抑圧されていた労働者やマイノリティたちが社会の側に包摂されていきます。 高度経済成長のなかで社会が豊かになるにつれて、人々は権力や資本家と戦う意味を見出せなくなっていくわけです。 社会から否定され、その否定に対抗する存在が、“多様性”の伸長とともにどんどん失われていった時代でもありました。 ――社会から否定される存在が減っていくのはいいことなのではないでしょうか。 もちろんそうなのですが、“多様性”や“包摂“が国内外の格差や不平等を覆い隠し、かえって新たな排除や画一性を生むこともあるでしょう。 実際に、現実の社会は何かしら矛盾を常に抱えています。 太田からすれば、あらゆる人が優しく包摂された社会は、矛盾や対立を曖昧にしてしまい、権力と正面から戦うことのできない不健全な世界なんです。太田は1980年代に「日本原住民史」という偽史も展開しています。 日本原住民史とは「現代の日本の支配的な文化や支配層は、古代にユーラシア大陸から渡ってきて、日本列島の原住民を抑圧してきた侵略者たちをルーツにしている」という歴史観です。 偽書とされる史料を奔放な想像力でつなぎ合わせており、学術的な歴史学からは架空の歴史とされますが、支配と被支配の観点から歴史を見るところは、マルクス主義の歴史観を引き継いでいます。 なぜ、太田が偽史にのめり込んだかといえば、人々に「侵略者の末裔である現代の支配層と戦うべきだ」と呼びかけるためです。社会から「戦い」が失われていくなかで、太田はオルタナティブな歴史に闘争の根拠を求めるようになりました。 ――その先に辿り着いたのがレプティリアン陰謀論だった? そうです。レプティリアン陰謀論は日本原住民史の延長線上に位置します。 冷戦崩壊後には、世界中が資本主義に覆われてますます権力や資本家との対立が難しくなります。私たちの生活のあらゆる部分に資本主義のシステムが入り込んできて、そのシステムなしには生きていけない社会が出来上がったからです。 この時期に、太田が持ち出したのがレプティリアンという敵でした。 レプティリアンとその交配種は、一見それと分からない見た目で世界の支配層を牛耳っているとされるので、何かをレプティリアンと見なせば新たな対立を作り出すことができます。 こうした問題意識のなかで、太田はアイクのレプティリアン陰謀論を引き継ぎ、日本への紹介者になっていきました。