なぜSB千賀はノーノ―偉業を達成したのか?「原点回帰とエースの責任」
ソフトバンクの千賀滉大(26)が6日、ヤフオクドームで行われた、ロッテ戦で、プロ野球史上、80人目、91度目となるノーヒットノーランを達成した。ソフトバンクとしては史上初。前身である南海時代からカウントすると1943年5月26日に別所昭(毅彦と改名)以来76年ぶり2人目、育成出身選手では史上初の快挙となった。西武と1ゲーム差で激しい首位争いを演じているソフトバンクにとって優勝に弾むをつけるエースの大偉業達成となった。
ウイニングショットはフォーク
最後まで攻めた。 9回二死一、三塁。千賀は、ロッテの5番打者、井上にカウント1-1からインサイドに153キロのストレートを決めて追い込んだ。そしてウィニングショットは、代名詞ともいえる“お化けフォーク”だった。 甲斐は連続四球でマウンドに行ったとき、千賀とこんな話をしたという。 「お互い、チームが勝つための選択をしよう」 「もちろん」 だから、フォークだった。 井上のバットが、スローモーションを見ているかのように回った。千賀は右手を握りしめ小刻みに揺らした。ミットを何度もパンパンパンと叩き、マウンドへ駆けてきた甲斐との熱い抱擁。ソフトバンクにノーヒットノーランという新たな歴史を刻み、そして、西武との息のつまるV争いに1ゲーム差以上の弾みをつける意義ある偉業達成となった。 「最高です」 記念の花束を手にした千賀は四方に深々と礼をした。 スタートからボールは走っていた。 先頭のマーティンをスイングアウトに取ったボールは157キロをマークした。 4回まではパーフェクト。5回、先頭の井上に対して変化球が抜けてユニホームを掠るようなデッドボールを与え、完全試合はなくなったが、角中はストレートで押し込んでセンタ―フライ、清田を三塁ゴロ、藤岡を155キロのストレートで見逃しの三振に打ち取って、崩れなかった。この時点で、「ああ、(ヒットが)ゼロだと。あと4回全力でいこう」と、ノーヒットノーランを意識したという。 8回からピッチを上げる。 先頭の清田をインサイドを抉って9個目の三振、続く藤岡もインサイドへズバッ。見逃し三振で10個目、レアードにはフォークを使い、中途半端なスイングで11個目の三振を奪った。この回、三者三振で大記録への弾みをつけた。 だが、最後の9回。あとアウト3つに迫った緊張からか、田村、岡に2者連続で四球を許す。 「ランナー2人を出していたので、一発を打たれたら3対2になる。1本うたれたら、ここに来ているファンから、すごいタメ息が来ると思ったので、それだけは(避けたい)とマウンド上で思っていました」 記録より勝利。 その強い思いが大記録へのプレッシャーから千賀を解放した。 中日時代の落合博満監督が日ハムとの日本シリーズで山井の完全試合の大記録よりも勝利を優先して、9回にクローザーの岩瀬を送り、賛否を呼んだことがあったが、200勝投手の工藤監督に迷いはなかったという。 「(継投は)頭にあったが、記録に挑むところ。なかなかできるものでない。同点、逆転になるかもしれないが、彼に託す」 指揮官もエースを信頼していた。