武士道の本質、利のある敗北後のベルギー戦。新たな日本文化の大局的勝利を
利のある敗北
小生は先に、米朝会談について「利のある敗北」ということを書いた。 ナポレオンの戦争を研究して『戦争論』を書いたクラウゼビッツは「戦争は別の手段で行う政治」として、政治を戦争の上位に置いたのだが、「いったん開始されると、当初の政治目的が忘れられ、敵の打倒そのものが目的となってエスカレートする」という戦争の「自己目的化」傾向を指摘してもいる。 もちろん戦争は勝つことを目的として行うのであるが、リーダーは常にその上の次元の状況を頭に置いて、局地戦の敗北を選択肢のひとつとしなければならない。撤退の指揮官こそ名指揮官といわれる。現実の歴史は、利のない勝利と利のある敗北で満たされているのだ。 今回がそれであろう。 西野は利のある敗北を選択したのである。彼のアメフト部の監督とはまったく逆だ。 小生は「サムライ」という言葉が海外にも広がり「カミカゼ」や「ハラキリ」という言葉と結びついて、玉砕戦法のイメージをもつことに危惧を抱いていた。むしろ武士道の本質は、鎌倉期における関東武士団の「一所懸命」に、あるいは戦国期の武将の「権謀術数」に、すなわち勝負のリアリズムにあるのだ。 そして、日本社会は国民の質は高いが、戦略力と決断力のあるリーダーに恵まれないことを批判してもきた。 しかし西野のような指揮者が出てきたことは希望がもてる。 大げさだが、日本文化の新しい形につながるような気もする。
日本文化の勝利
それにしてもマスコミというものは、報道、分析、論評より、煽動によって部数を伸ばし視聴率を上げようとすることではどこの国も同じであるようだ。これまでは欧米の言論機関に一目置いてきたが、その必要はなさそうである。 そう考えれば、マスコミに叩かれつづけ、ツィッターで直接国民に訴える道を選択した彼の大統領も、SNS時代のひとつの在り方であるのかもしれない。 さて今度はベルギー戦。FIFAランキング3位である。 相手がどうあろうと、静かに、マナー良く、だが熱を入れて応援しよう。もちろん負ける確率は高いが、負けたらこれまでの健闘と戦略を讃えて大きな拍手を送ろう。万一勝ったら、そりゃもう国を挙げて大騒ぎ……。だが怪我をしないように注意しよう。そして相手の健闘に拍手を送り、片付けをして帰ろう。最後までマナーの良さを貫こう。 それこそが日本文化の大局的勝利というものだ。