40周年記念! Z31型フェアレディZ300ZXの全日本ラリー選手権チャンピオンマシンはニスモ初の競技車両? ニスモフェスティバルに向けてレストア開始!!
"ニスモ"ブランド初のコンペティションマシンの再生は前途多難?
1984年9月に設立されたニスモ。これまで部署や事業所ごとに分かれていた活動していた日産ワークス(いわゆる追浜や大森など)が、ニスモのブランド名で活動することになる。その最初のマシンがこの全日本ラリー用のフェアレディZ300ZXだったのではないか、とのことだ。 当時の全日本ラリーは基本的にノーマルを前提としており、改造には厳しい制限が設けられていた。そのため、この車両もロールケージやバケットシート、マッドフラップ、アンダーガード、ライトポッドといった最低限のラリー装備以外はほぼノーマルといった印象だ。 Z31型フェアレディZのモデルライフが1983年から1989年だが、前期型は1986年のビッグマイナーチェンジまで。すでに40年が経過している"旧車"だ。日産ヘリテージコレクション収蔵車ではあるが、内装まわりは"当時感"溢れる状態だった。 そして国内戦とはいえラリーを戦ってきた車両だけにボディへのダメージも計り知れない。特にボディ底面についてはすでに多くの錆が見受けられ、前途多難を予感させる状態だ。さらに、スペアタイヤを搭載するのか、ラリーコンピューターは装着するのかなど、どこまで当時の状態に近づけるのかも気になるところ。 とはいえ、スペシャルメイドのグループAマシンに比べれば厳しい改造制限によりノーマルに近い形で争われた全日本選手権のマシンだけに前年のパルサーGTI-Rに比べれば再生は容易だろうか? 気になるのはボディの痛みや錆だが、これまでもこのフェアレディZ300ZXより古いラリーカーを再生してきた日産名車再生クラブなら対処は可能だろう。
全日本ラリー選手権最後のFRチャンピオン
斯くしてフェレディZは1985年シーズンの全日本ラリー選手権に第3戦(KANSAI-RALLY)から出場。デビュー戦を5位で飾ると、第4戦をスキップして第5戦から最終戦(第11戦)まで戦い、第6戦、第7戦と連勝。2勝と2回の3位に加え上手くポイントを重ね参戦初年度にチャンピオン獲得に成功している。 なお、これが全日本ラリー選手権のおける、FR車が獲得した最後のチャンピオンになる。 キックオフ式の会場には、このフェアレディZの活躍が載った当時の雑誌や、ニスモブランドをアピールするステッカーやミニカーなど、貴重なグッズも展示された。 国内モータースポーツにあって、レースに比べて地味な感は否めない全日本ラリー選手権ではあるが、ニスモの活動としてアピールしていこうという姿勢が強く感じられる。実際、国内ラリーにおいてはこの後、ブルーバードSSS-R(U12)やマーチ(K10)の競技ベース車両にはトリコロールカラーまで設定し、競技用のパーツも展開。日産によるモータースポーツ活動を大いに盛り上げていくことになる。
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