【完全再現】“拉致船”が目の前に――「120%生きて帰れない」緊迫の護衛艦25年前の事件、元航海長の“悔い”今も『every.特集』
1999年3月。海上自衛隊の護衛艦「みょうこう」は、能登半島沖に緊急出動していた。北朝鮮の工作船を発見して追尾。乗組員は「乗り込め」という想定外の命令を受け、死を覚悟した。元航海長には、25年後の今も後悔があるという。事件の裏側を再現した。 【動画で見る】25年前北の工作船事件 自衛官は死を覚悟していた 当時の幹部らの証言をもとに完全再現
■幹部らの証言で…25年前の事件を再現
防衛力の抜本的な強化に舵を切った岸田政権。しかしサイバー攻撃への対応など、新たな領域での備えが遅れているとの指摘もある。今から25年前、備えの遅れから自衛官たちが死を覚悟した事件が起きていた。 能登半島沖不審船事件。 武装した北朝鮮の工作船を止めて乗り込むよう、海上自衛隊に命令が下された。護衛艦「みょうこう」元航海長の伊藤祐靖は、「120%生きて帰ってこられないと思っていました」と当時を振り返る。 なぜ、自衛官たちは死を覚悟せねばならなかったのか。証言を基に、海上自衛隊の協力を 得て実際に事件に対応した同艦で再現した。
■またミサイル?…より深刻な事態を懸念
25年前の3月22日。海自の京都・舞鶴基地で、「みょうこう」は緊急出港の準備に追われていた。航海長の伊藤は休暇中だったが、連絡を受け急いで船に戻った。「何人戻っている?」。他の乗組員に確認し、手はずを整えていた。 伊藤 「船務長、戻りました」 由岐中船務長 「おう、航海長。早かったな」 伊藤 「緊急出港、また北のミサイルですかね」 由岐中 「まだ何も聞かされていないんだがな…」 この7か月ほど前。北朝鮮が弾道ミサイルを発射する際も、「みょうこう」は緊急出港していた。より深刻な事態が起きたのかもしれない―。伊藤は艦長室に急いだ。
■不審な電波…出港後に知った乗組員
伊藤 「艦長、出港準備に取りかかれます。行き先をお願いします」 鈴木艦長 「行き先は富山湾だ」 伊藤 「富山湾?国内なんですか?」 この時政府は、北朝鮮の諜報活動とみられる不審な電波を日本の領海内で確認していた。確認を行うのは海自ではなく、海の警察・海上保安庁だ。当時の防衛庁はその支援のため、「みょうこう」など3隻を緊急出港させたのだ。 それを出港後に知らされた乗組員たち。この後、日本を揺るがす事件が起きるとは思ってもいなかった。