ジョー・バイデン、背番号15。~大統領は若き日にラグビーをたしなんだ~
「弟もラグビーの選手でした。私が若い議員で、議会が閉会中のある日、彼が『オールブラックスがアイルランドで4戦する』と言ったのです。私たちはすぐ荷物をまとめて追いかけることにしました」
「議会閉会中」をヒントに資料にあたると、前述のテストマッチにたどり着いた。バイデン家のルーツはアイルランド島の西部にあった。何十年もあとになって、アイルランド代表キャップ95のFB、いま38歳のロブ・カーニーとの血縁関係も明らかになる。
副大統領ジョーはジョークをまじえて明かした。
「400年前、法科大学院のころに1年間だけラグビーをプレーしました」
経歴を確かめたら1965年にシラキュースの法科大学院に進んでいる。在籍は3年。ちゃんと調査したジャーナリストがいた。
米国の『The Rugby Network』に「そうだと言ってよ、ジョー(ラグビー選手だったと認めてよ、の意味だろうか)」という記事を寄せたマーティン・ペンゲリィ記者は書いた。「シラキュース大学ラグビー部のウェブサイトに『バイデン』に関する記述は発見できない」。なにしろ創部が1969年なのだ。しかし同窓生からのメールで謎は解ける。
「ラグビー部が公式に創設される以前、いくつかのチームが存在し、試合を行っていたという事実が存在します。したがってジョー・バイデンが法科大学院在学中にラグビーをプレーする機会はありました」
アメリカン・フットボールをよく行ない、ラグビー・フットボールはかじった、というあたりだろうか。いずれにせよ本コラムの立場では「こちら側」にわずかであれ籍はあった。50年前のあの日、雨のダブリンでテストマッチを見つめ、伝説のロック、ウィリー・ジョン・マクブライド主将の率いる胸にシャムロックの15人に声援を送ったのは確かだ。
そういえば、第43代大統領のジョージW・ブッシュはイェール大学ラグビー部のWTBであった。7年前にコラムの話題に取り上げようと、あれこれ部員時代の逸話をさぐった。好きなのは、チームの同僚であった医師、モンティー・ダウンズの述懐。