現代的な女性解放論を展開したSM作家・吾妻新と『家畜人ヤプー』の沼正三はなぜ女性のズボンで激論を交わしたのか?
■ 『家畜人ヤプー』を書いた沼正三 ──沼正三という謎の多い作家の作品と、その実像についてもかなりページを割かれています。 河原:沼は団鬼六と同じくらい、SMコミュニティ以外でも広く知られている作家ですね。 彼は『家畜人ヤプー』という小説を書いた人として広く知られていますが、実はあの作品は彼の作家としてのキャリアの終わりの方に書かれたもので、『奇譚クラブ』で8年ほど連載していた「あるマゾヒストの手帖から」という作品のほうが重要です。 これは、沼が古今東西の様々な文化や歴史、作品などをマゾヒスティックに解釈して語るという、とても面白いエッセイです。 それまで、マゾヒズムといえば医学的にも精神疾患とされ、「鞭で打たれることを喜ぶ」とか「殴られて喜ぶ」というふうに単純に考えられていました。沼はこのエッセイの中で、様々な種類のマゾヒズムがあることを解説し、マゾヒズムが働く様々なメカニズムを丁寧に理論化しています。 マゾヒストも、サディストも、それ以外の人も、言語化されることによって初めて、自身のセクシャリティを理解できるようになるもの。沼が作ったマゾヒズム解釈の枠組みは現在のSM文化の中でもまだ用いられていると思います。現在流布しているマゾヒズムに関する説明の多くは1950年代に沼が既に書いています。 一方で、沼はそれほど実践型ではありませんでした。自身の本当の欲望を現実に実行することに関しては諦めていたと思います。ただ、日常生活の一部に少しずつマゾヒスティックな行為を取り込んでいくことで、欲求を満たしていくことが可能だと考えました。 ──吾妻新と沼正三の間で、女性のズボンについて激論が交わされたという部分が印象的でした。 河原:女性のズボンをズボンと呼ぶか、それともスラックスと呼ぶかといった些細なことから、大喧嘩が始まりました。この喧嘩は吾妻が仕掛けたもので、沼は被害者です(笑)。 しょうもない喧嘩に思われますが、実はその背景には、現代でいうところの「ジェンダーステレオタイプをいかに克服するのか」という吾妻の問題意識があって、ズボンをスラックスと呼ぶことを吾妻は許しませんでした。 吾妻は女性がズボンをはくことを歓迎していました。それが、女性解放のステップだと考えていたからです。海外でも同じように考えている人はたくさんいました。この点には沼も同意しています。 着物やスカート、長い髪といった女性らしさを象徴してきたものは作られた文化で、女性を抑圧することがあるということを、吾妻は40年代に『女について』で論じています。現代のコルセットやハイヒール批判と同じです。 ズボンはその点、女性を活動的にしそうな一見合理的な服装です。そこで吾妻はフェミニストとしても、サディストとしてもズボンに魅せられていくわけです。 ズボンをはいた女性というイメージを性的に活用することで、女性を貶める気持ちからではないサディズムが実現すると考えました。現代から見ると、荒唐無稽な気もしますが、そうした吾妻の奮闘は面白くもあり、少し感動的です。