「単純な物語」を捨て、小説世界を構築する 奥泉 光×小川 哲『虚史のリズム』刊行記念対談
“虚史”の理由
――タイトルの話に戻りますが、そもそもどうして「虚史」なんですか? 偽史でも稗史でも野史でもなく。 奥泉 正直、自分でもうまくは説明できないですね。虚史という言葉のイメージは最初からありました。「虚」というのは「フィクション(虚構)」という意味もあるけれど、「虚ろ」という意味もある。戦後という時代が虚ろなのではないかというイメージが僕の中にずっとあったんでしょうね。真面目に言えば、日本国民は太平洋戦争の死者たちをしっかり弔い得てない。その原因は、戦争体験をいまだ十分に経験化できていないということに尽きるんだけど、その結果、戦後という時代が、今僕たちが生きている時代を含めて、虚ろになっているんじゃないか、と。 ――作中でもとある人物が、そもそも神国日本は負けるはずがなかった、ゆえに敗戦は現実ではない、偽の日本が負けただけだ、と主張しますね。 奥泉 そうそう、そういう思想はあり得たと思うんですよ。だから、戦争で亡くなった人たちは、いまもまだ戦場を行軍し続けているのだという強いイメージが僕にはある。彼らを無事日本に連れ戻し、しかるべき場所に落ち着いていただいたとき初めて、歴史が虚ろじゃなくなるという感覚。それは小説を書きはじめた頃からずっと一貫しているテーマですね。テーマというか、何度も言うようだけど、それを書こうと思って小説家になったわけじゃないんだけどね。そこにこだわっているのは間違いない。 ――小川さんはそういうこだわりはありますか? 先ほどユートピアという話が出ましたが。 小川 そうですね。ユートピア思想の話は、何を書いていても出てくることが多いです。そもそもユートピア思想って、人類の歴史において、どの時代にもずっとあり続けているものですよね。それもあって、どの舞台で何を書いていてもそれを拾ってしまうというか……。理想の世界をつくろうとするんだけど、理屈上はうまくいくはずのものが、人間の愚かさ、人間が持つ動物的限界によって、むしろ悲惨なものになっていく。 奥泉 反転してしまう。 小川 そう、反転してしまう。それは根底にあるかもしれないですね。僕もそれが書きたくて小説を書いているわけじゃないんだけど、何を書いていてもそれが出てきてしまう。 ――大東亜戦争にも、失敗したユートピア思想みたいな側面がありますね。 小川 戦争や思想って、根っこにはやはりユートピアとまでいかなくても、世界をよりよくしようという思いがあるはずです。でも、それがどこかで反転してしまうことの虚しさか、諦観か、あるいはそうじゃない可能性もあるという期待なのかわからないですけど、そこには興味を持ってしまいますね。 ――『虚史のリズム』では、戦後、占領期の日本が描かれたわけですが、その先の構想はあるんですか? 『グランド・ミステリー』、『神器』、『虚史のリズム』と読んでくると、ぜひその先も読みたいという気もしますが。 奥泉 その先の戦後ね……。ちょっと、今はまだないですね。 小川 でも、書く可能性はある? 奥泉 はい。可能性は当然あります。 ――では、いつかこの先が読める日が来るのを、首を長くして待ちたいと思います。今日はありがとうございました。 (2024.7.31 神保町にて) 「すばる」2024年10月号転載
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