〝帝王〟ロブ・カーマンが角田信朗を葬った拷問技「顔面ヒザ落とし」の戦慄!
極め付きはカーマンがハイキックを決めた場面だろう。大げさに一回転して派手な受け身をとるネグロ。リングサイドの記者席で取材ノートに走らせていたペンの動きが止まり、目を覆いたくなった。筆者の目に狂いがなければ、この一戦は紛れもなく仕組まれたファイトだった。そうでなければ、意識がある中で一回転もするわけがない。 その後、カーマンは再び異種格闘技戦をやることも、MMAに進出することもなく現役から退いた。オランダ目白ジムの後輩で現在同ジム代表のアンドレ・マナートが日本の修斗でエンセン井上と一度だけMMAをやったこと(96年)を考えると、それも時代の巡り合わせだったのかもしれない。 それでも、MMAの黎明期といえる時期に、カーマンは一度だけ「準MMA」というべきリアルファイトを行なっている。92年1月25日、リングス千葉大会で行なわれた角田信朗戦だ。試合は1~3Rが掌底による顔面攻撃ありのリングスルール、4~5Rをグローブ着用による特別キックルールで行なうというミックスマッチ。いまはなき別冊宝島179『プロレス名勝負読本』(1993年刊)で筆者はこの一戦を取り上げている。 〈必死にカーマンの蹴り足をとりに行く角田。すると、どうだ。次の瞬間、カーマンは冷静にも全体重を乗せた右ヒザを狙いすましたかのように、仰向けになった角田の顔面に落とした。さすがストリートファイトが日常茶飯事であるアムステルダムで生まれ育っただけのことはある。もしかしたら昔、実際のストリートファイトでこんな拷問技を使ったことがあるのかもしれない〉 3ラウンド2分3秒、レフェリーストップでカーマンのTKO勝ち。のちに「あの顔面ヒザ落としは反則なのでは?」という議論も湧き起こったが、全てはあとの祭り。現場で周囲に何も言わせなかったカーマンの凄味に震えるしかなかった。 現役引退後、アメリカに拠点を移したカーマンはUFCでセコンドに就いたり、のちに日本で大成する前の須藤元気にキックを教えたりしていた。もし5歳ほど若かったら、モーリス・スミスのようにMMAに転向していたのではないか。あの顔面ヒザ落としを思い出すたびにそう思う。 (つづく) 文/布施鋼治 写真/長尾 迪