〝帝王〟ロブ・カーマンが角田信朗を葬った拷問技「顔面ヒザ落とし」の戦慄!
異種格闘技戦と銘打っていたとはいえ、チャンガニーはキックボクサーだったので、実施されていれば普通のキックルールで行なわれていたであろう。 この大会の主催は、カーマンが主戦場とする全日本キックのライバル団体であるMA日本キックボクシング連盟だったが、ブッカーをオランダキック界の父・黒崎健時がやっていた関係で、超法規的措置としてカーマンの起用が許されたのかもしれない。しかしながら、この一戦はカーマンが前戦で脚部を負傷したため出場をキャンセル。急遽、藤原喜明が代役としてリングに上がりチャンガニーと引き分けた。 ■目を覆いたくなった異種格闘技戦 そこで、カーマンにとって正真正銘初めての異種格闘技戦の対戦相手となったネグロは、かつて日本プロレスや全日本プロレスに頻繁に来日した〝受け身の達人〟サイクロン・ネグロ(覆面レスラーのカリプス・ハリケーンにも変身)とは同名異人。当初発表の写真をみると、新日本プロレスや旧UWFに来日経験のある、ヨーロッパを主戦場としていたカズウェル・マーティンであることがわかる。 当初は世界の力自慢たちを集めた「ストロンゲストマン・コンテスト」の常連だったジェフ・ケープスとの一戦が企画されていたという話もある。ケープスはかつてオランダで〝オランダのサンボ王〟クリス・ドールマンとジャケット着用による組み技・関節技・絞め技のみのフリーファイトで闘ったことがある。 しかし、ケープスの体格はスーパーヘビー級だった。そこで体格は合わせたほうがいいということになり、カーマンと背格好がさして変わらないマーティンに変更になったのではないか。 当時の東京スポーツにはカーマンとマーティンが並んで収まっている調印式らしき写真も掲載されている。しかしながら決戦当日、リングに上がってきたのは同じ黒人レスラーでも、マーティンとは似ても似つかぬ別のレスラーだった。この一戦の試合リポートを筆者は『格闘技通信』No.38に書いているので、一部引用する。 〈カーマンが射程距離に入るのをなんとか防ごうとステップバックしながら、リングをグルグルと回るがガードが甘い。カーマンはいともたやすくネグロの懐に入り、ボディブローを見舞った。ガクッとネグロの動きが止まる>