阪神淡路大震災・避難所で復興願い歌った「リンゴの唄」 ── 歌手・山野さと子の想い
阪神淡路大震災の時に避難所で歌ったことを語る山野さと子。子どもたちは「ドラえもんのうた」を喜んでくれていた THE PAGE大阪
「ドラえもんのうた」や「とんがり帽子のメモル」などのアニメソングや童謡歌手として知られる山野さと子(51)は、1995年に「阪神淡路大震災 復興応援歌」として並木路子さん(2001年死去)が歌っていた名曲「リンゴの唄」をカバーしカップリングでリリース。この売り上げの一部は義援金として使われ、神戸の避難所などを並木さんと訪れてはデュエットを披露するなど、被災者を励まし続けていた。あれから20年、ふと当時の記憶がよみがえる。
大阪の実家へ何度電話かけてもつながらず
「あの時、わたしは東京に住んでいて、震災当日は友人から『大変な地震が起きた』と連絡がありました」。東大阪市出身で実家には両親が住んでいる。何度も電話をかけるが、つながらず心配は募るばかり。そして公衆電話から何度もかけたところ夕方につながり、ようやく母親と話せた。「家は大丈夫と聞いてホッとしましたが、電話の最中にも余震がきて。携帯電話もメールも普及していない時代やったんで、ずっと心配だったことを覚えています」 後に、事務所から呼ばれ「リンゴの唄」を歌ってほしいという話しが来た。リンゴの唄といえば、日本の戦後映画第1号「そよかぜ」の挿入歌となり戦後のヒット曲第1号となった並木さんの名曲だ。それを並木さんとのカップリングで、売上金の一部を阪神淡路大震災復興の義援金にするという「阪神大震災 復興応援歌」という形で発売された。 「私が関西出身ということもあったのかもしれませんが、お話しを頂きました。被災されたみなさんのお役に立てるのならばという思いでした」。そんな思いから、この歌に限っては、名前も本名の山野智子名義とし、レコーディングに臨んだという。
戦後の復興象徴の歌、願いを込めて避難所で熱唱
そして、並木さんと避難所となった神戸市長田区の学校へ訪れた。その時のある光景を思い出す。「避難所におられたみなさん、特にご年配の方々は並木先生をみて本当にうれしそうに駆け寄ってお礼を言っておられたのを覚えています」。並木さんとデュエットするなど、舞台で一生懸命歌い続け、避難所にいた人たちを励まし、喜ばれた。 「印象的だったのは、並木先生はステージで1945年とまったく同じキーで歌われてました。すると、聴いている方々から自然と笑顔や涙がこぼれて」。この並木さんの姿をみて「自分もこれだけ人に感動を与える歌手になりたい」、山野はずっとそう思っていたという。 奇しくもこの時は戦後50年。戦後復興の象徴として多くの人を励ましたこの曲を、並木さんは再び歌い、被災者を励ましていた。このことは、当時の新聞でも大きく取り上げられていたという。その後も、各地を並木さんとともに回り、リンゴの唄を歌い続けた。
「逆に被災者のみなさんに励まされました」
そして、避難所では子どもたちも多くいた。山野といえば、当時はアニメ「ドラえもん」の主題歌を担当。「こんなこといいな~」と歌うと、子どもたち、そして親たちまでもが喜んで手拍子をして聴いてくれたという。 「あの時、そんなみなさんの姿に、私は逆に励まされましたのを覚えています」 あれから20年。避難所で「歌」を喜んでくれていた子どもたちは、どうしているのだろうか。きっと立派に成長してくれているだろう。そんな思いを胸に、きょうも山野は全国各地で歌い続ける。