「破局しました」漫才協会で自虐を笑いに変えた瞬間が転機に アンゴラ村長「テレビで露出が減った後」の活躍
■大学1年で気軽に養成所へ「お笑いに本気の人が多くて驚いた」 ── そこからお笑い芸人の方向にシフトしたのは、どういったいきさつだったんですか? アンゴラ村長さん:正直、私あんまり「お笑い芸人になりたい」って目指して芸人になったわけじゃないんですよね。周りの環境に適応していって、気づいたらなっていた…っていう。 大学1年生のときに、ワタナベエンターテインメントが大学生向けに開催したお笑いの大会に、当時組んでいた相方と一緒に出たら、決勝まで行ったんです。そしたら「安くするから養成所に入らない?」と誘ってもらえて。本当に安かったので「1年通ってみたら勉強になるかもな」くらいの気持ちで入りました。そしたら、まわりがけっこう本気で。会社を辞めてきていたり、車を売って入学費を払っていたり…。本気でお笑いに人生をかけてる人たちがいたんです。それで、私たちも本気でやらなきゃと。
── 学生生活と養成所との両立は、忙しそうですね。 アンゴラ村長さん:たしかにめちゃめちゃ忙しかったですね(笑)。週に1回、日曜日だけのコースだったんですが、毎週ネタ見せがあるので、絶対に新ネタを作っていかなきゃいけなくて。あとは、ダメ出しされたら毎回明確に直して持っていかないといけなかったんです。それはかなり大変でした。 ── 養成所を卒業後、大学2年生のときにデビューされたそうですね。その後、現在の相方であるスーパー3助さんとコンビ結成し、『キングオブコント2017』に挑みました。決勝で披露した「縄跳びネタ」はもともとアンゴラさんのネタだったそうですね。
アンゴラ村長さん:そうですね。私がひとりで縄跳びを飛んで、自分でツッコんだり、録音した音声でツッコんだりしていたんです。それを3助さんが見て「俺がツッコんだほうがおもしろいんじゃないかな」って。それで、ライブでお試しでちょっとやってみたら、そのライブで2位になりました。その後、当時のライブシーンを賑わせていた芸人さんたちと一緒のステージに上がれたんですが、そこでも上位に入賞して「これは可能性あるぞ」と。