わずか4年で戦力外通告「マジか…もう1年やれるかと」まさかのドラフト指名漏れも経験、元中日・岡野祐一郎が初めて語る“スカウトに転身を決めた日”
大谷翔平と同学年の1994年度生まれ。チームで唯一補欠だった中学時代から一転、高校、大学、社会人を経てプロ野球選手にまで辿り着いた岡野祐一郎(元中日)。本人が初めて明かすドラフト指名漏れ、まさかの戦力外、そして現在まで。【全4回の4回目/1~3回も公開中】 【実際の写真】「マジか…もう1年やれるかと」昨年まさかの戦力外…中日スカウトに転身。球場視察の日々だけど「驚くほど肌が白い」元中日・岡野祐一郎の現在。ガリガリだった中学時代、「同じ年」大谷翔平の最新カットまで一気に見る ◆◆◆ 大学卒業後も岡野祐一郎は歩みを止めなかった。実は企業チームを選ぶとき、そのことで大学の恩師と衝突している。 岡野のもとには複数のチームから誘いがあった。恩師はその中でも今、もっとも有力な会社への就職を勧めてきた。だが、そのチームには絶対的なエースがいて、しかも自分とタイプが似ていた。そこだと自分を生かし切れないと考えた岡野は、自分がもっともフィットしそうな東芝を選んだ。恩師は反対したが、岡野は譲らなかった。 「出番がなかったら、プロに行けないですから」
「自殺の心配も…」ドラフト指名漏れ
大学経由で社会人野球に進んだ選手は2年目からドラフト会議で指名を受けることができる。その社会人2年目、東芝でも目論見通りエースとして活躍していた岡野は、ある球団から4位までには指名すると告げられていた。担当スカウトは青山学院大の先輩でもあったため、岡野はすっかり信じ切っていた。しかし最後まで岡野の名前が呼ばれることはなかった。 その日の夜は会社の同期が飲みに連れ出してくれた。岡野は恥ずかしそうに思い出す。 「今日のことを忘れるぐらい飲もうみたいになって、次の朝、寝坊してしまって。それまで会社に遅刻するなんてことはなかったので、同僚には『自殺とかじゃなくて本当によかった』って言われました」 しかし、その1週間後ぐらいには、岡野はまた歩き始めていた。
携帯が倒れた…25歳でプロ入りの瞬間
大学を経て社会人入りした選手の場合、入社3年目に25歳を迎える。プロ入りするなら年齢的にラストチャンスといっていい。岡野は聖光学院の「特待」に選ばれたときと同じルールを自分に課した。決めたことは何があっても毎日、やる。 「3年目は、これだけやってダメだったんだからダメだったんだって諦められるぐらいやろうと思ったんです。社会人になると飲みに誘われたりすることが多いんですけど、そういうときでもトレーニングとかその日のメニューを全部、こなすまでは行かないとか。社会人の選手は練習をやらなくても、別に誰かに怒られるわけじゃないんです。でも、決めたことは絶対にやり抜こうと思って」 社会人3年目のシーズンは、岡野いわく「ほぼ、防御率は0点だった」という。まさに、これだけやってダメだったら……という境地だった。 ドラフト会議の日、岡野は日本代表の一員として台湾にいた。会議の様子は宿舎の一室で携帯の画面越しに眺めていた。ある球団からは3位か4位で指名する予定だと聞いていた。そろそろかなと思ったとき、立てかけていた携帯が倒れた。画面を起こすと自分の名前が映っていた。中日から3位指名を受けたのだ。 台湾で受信していたドラフト中継は日本と若干、時差があったようだ。そのため岡野よりも早くに指名情報を得た知り合いから立て続けに祝福のLINEが入った。その振動で携帯がバランスを崩したのだ。 岡野はそのときの感動をごく短い言葉で表現した。 「すごくグッときました」
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