日本とイタリアでこんなに違う「サービス」事情。愛があるものは丁寧に、それ以外は適当に
丁寧な扱いにはお金がかかる国
だいたいにおいて、ここでは丁寧な対応を受けるためにはお金がかかるのだ。サービスを受けたい人はその分お金を多く払うという考えが一般的だから、丁寧に扱われたければ、お金を多く払って丁寧なサービスを受けられる場所に行けばいいだけだ。 もちろん、安いからといって意地悪をされることはないけれど、支払う金額に応じてお店から客への対応が変わるのは当たり前だ。紙のランチョンマットのファーストフード店と、テーブルクロスが敷かれたレストランで料金が違うように、丁寧な扱いには相応のサービス料が必要なのだ。
愛がないものに時間をかけるほど暇ではない
さらに根本的な話として、自分にとって愛があるものだけを丁寧に扱うと決めている人がイタリアには多いのだと思う。みんな愛がある対象は丁寧に扱い、それ以外はそれなりの扱いでいいと割り切っている。人生は愛がないものにまで時間をかけているほど、暇ではないのだ。自分が愛するもの以外は、失礼でない程度に適当な扱いでいいのだとイタリア生活を通して知った。日本にいた頃はすべてのもの、すべての人をできるだけ丁寧に扱うべきだと思っていたけど、今はまあそんなこと無理だよねと、諦めつつ生きている。 イタリアでの雑な扱いに悲しくなったり、差別的な扱いをされて腹が立ったりすることもある。でも、ただ雑なだけならそんなに気にせずに「人間ってそんなときもあるよね」と、気楽に過ごすほうがずっと楽だなと今は思う。
ESSEonline編集部