この情報はSNSで拡散すべきか―戦時下で「正義感が大きくなっているときほど立ち止まるべき」理由
冷笑で世界は良くならない―あきらめてしまう人の心がそうさせる
――今回の軍事侵攻を受けて、「これまでの反核運動や平和運動は意味がなかった」という意見を耳にすることもあります。そういった意見に対してはどう思いますか? 安田菜津紀: 核の脅威や平和を訴える声に対して冷笑的な声や揶揄する発言は必ずと言っていいほどあり、SNSだと特にそれらが目立ってしまうところがあると思います。しかし、大前提として冷笑で世界が良くなることはないですし、「冷笑的な考え=リアリスティックな考え」のように勘違いをしている例説が見受けられることは非常に残念です。 私が長く関わっているイラクの青年がいるのですが、戦争後の治安の悪化などで何重もの避難生活を強いられてきた彼に対して、「人間である限り戦争は終わらないのだろうか」と問いかけたことがありました。彼は少し考えた後、「人間だから、ではないと思う。どうせ人間なんてそんなものだろうとあきらめてしまう人の心がそうさせるんだと思う」と答えたんです。戦争を目の当たりにしてきた彼の言葉は私にとって非常に大きなものでした。核兵器禁止条約もそうですが、戦争に歯止めをかけてきたのは人の声や輪の広がりだったと思うので、人の声には力があります。 ――インターネットを通じて反プーチンの動きが広がって、プーチン大統領の撤退につながったらいいのにという声も見聞きします。 安田菜津紀: もちろん「こうだったらいいな」と思うことはそれぞれあると思いますが、それが極まってしまうと、どうしても人任せの他力本願になってしまいがちです。今、問われているのは、小さくても一人ひとりがどういう役割を持ち寄ることができるかだと思います。 2019年、長年アフガニスタンで人道支援に取り組んできた医師の中村哲さんが銃撃され亡くなるという事件が起こりました。中村さんが亡くなったと聞いたとき、非常に大きな衝撃を受けましたし、「もう中村哲さんのような方は現れないんじゃないか」という言葉が飛び交いました。 でも、私たちがすべきことは「また中村哲さんのような方が出てきてなんとかしてくれるだろう」と次なるヒーローの出現を待つことではなく、中村さんの活動を知った私たちがどうすべきかを考え、行動することだと思います。誰かに託すのではなく、小さくてもいいから役割を持ち寄ろう、声を持ち寄ってみようということにシフトしていきたいですね。 ----- 安田菜津紀 1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People副代表。フォトジャーナリスト。16歳のとき「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事―世界の子どもたちと向き合って―』(日本写真企画)など。 文・清永優花子 (この動画記事は、TBSラジオ「荻上チキ・Session」とYahoo! JAPANが共同で制作しました)