ミュンヘン・ハイエンド探訪記(3) 哲学者クロサキが見た世界最高峰のオーディオショウ【アナログ再生編】
カント哲学者であり、オーディオをこよなく愛する黒崎政男氏が今年5月に開催された「ミュンヘン・ハイエンド」に初参加。最先端のオーディオショウで出会った印象的なサウンドをレポートする本企画、最終回は世界のアナログ事情、そして高額化するオーディオ市場を改めて振り返る。 ▶️▶️▶️過去記事はこちらから 哲学者クロサキのミュンヘン・ハイエンド探訪記(1)【真空管アンプ編】 哲学者クロサキのミュンヘン・ハイエンド探訪記(2)【ホーンスピーカー&マルチアンプ編】 銘機の誉高いトーレンス「TD124」を現代復刻 会場を巡っていて驚いたのは、膨大な数のアナログプレーヤーが展示されていたことだ。それは、伝統的なメーカーが一貫して改良を重ねて今日に至っているものもあれば、往年の銘機がモディファイされて復活してきたもの、新興勢力が、はじめてアナログプレーヤーを作ったように感じられるものなど。多種多様だったが、なにやら<雨後の竹の子>のような感じで、あふれ出していたという印象を持った。また多くのブースで、デモをするときには、LPレコードをかけて、ということが多かった。 伝統あるスイスのLPプレーヤーメーカー・THORENS(トーレンス)のブースでは多種多様なアナログプレーヤーが展示されていた。 特に気になったのは、最新作ではないが、「TD124」の現代版ともいうべき「TD124 DD」が展示されていたことだ。オリジナルのトーレンスTD124は銘機の誉高いものであるが、何十年も前の機械であるから、いい音で鳴らすには的確なメンテナンスと整備が必要だ。その点現代物ならその不安はない。だがアイドラー&リムドライブ方式からダイレクト・ドライブ方式に変更しているようである。オリジナルを取るか、現代復刻か、とても悩ましいところである。 日本ではみかけないアナログプレーヤーも多数発見 LINNは1972年から一貫してLP12というアナログプレーヤーを作り続け、LPの衰退とCDの登場、デジタルファイルの登場、ネットのストリーミング配信という約50年にわたる変化をも乗り越えてきた。 その50年を記念して限定販売されたLINN50周年スペシャル「LP12-50」が展示してあった。元アップルのデザイナー、ジョナサン・アイヴがデザインに関わっているという。生産台数は世界250台限定ということだ。価格が日本円で990万円。ものすごく高額だ。だが、丸50年間、同一筐体のまま、休むことなく改良を続けてここに至ったという自負がこの製品には感じられる あとは、会場で目についたアナログプレーヤーを写真で提示しておこう。最新テクノロジーを駆使したものから、ノスタルジックな昔風のものまで溢れていた。 私がもちろん知らないだけだと思うが、数多くのメーカーのアナログプレーヤーがいたるところで、多種多様に出現していた。そして、かつて時代の中心を占めていたCDは、プレーヤーもソフトも今回、このショーではほとんど見かけることがなかったのは、多少なりとも驚きだった。 中古レコードの販売ブースも大人気。帯付きレコードも 会場では、驚いたことに、たくさんの中古レコードや最新カッティングの新LPレコードまで多くあった。 面白かったのは、日本のレコードがかなり人気があるのだ、と知ったこと。例えば、この店は、日本のレコードとスリーブだけをあつかうドイツの店。URLが「japan-record.de」とある。また別の店でも、「日本プレス」が特別扱いされていた。 なにか、時代が70年前にまで逆戻りしたような錯覚さえしてしまう。1950年前後にLPレコードが出現し、その後すぐにステレオ方式が開発され、ここから爆発的にステレオ装置が世界中で開発され発展していったあの時代だ。そののち1980年代にLPレコードを駆逐したはずのCD。しかし、このショーではCDプレーヤーはほとんど見かけることはなかった。あのころは誰もこんな時代が来るとは想像さえしなかったろう。 <美>の工学的追求としてのオーディオ オーディオとは何か?私の考えるところ、それは「いい音」という美感的次元のあり方を、電気テクノロジーという工学的次元の工夫で実現しようとする不断の努力である。もともと正確な対応関係が付かない<美感>と<工学>の二つの次元をなんとか折り合いをつけようとするところに、オーディオの尽きせぬ魅力がある。<美>の工学的追求、と言ってもいいだろう。そして、ここには製品の価格という経済的問題も本質的な要素として入り込んでくる。 オーディオ製品の価格がここ何年かで、大きな高騰ぶりを見せている。体感だが、以前の最上級のオーディオ製品は上限が1000万だった。だが今日では、平気で5000万、1億という単位に跳ね上がっている。いったい何が起こっているのだろうか。 今は、あらゆる分野で<二極化>が進んでいる時代となった。例えば、東京都最低賃金は時給1,013円に引き上げられたというニュースが流れる一方、他方で、大活躍しているプロ野球選手一人の10年年俸が約1,000億円だ。パリ五輪開会式のチケットは等級によって、無料から最高45万円だ。世界の最高級ホテルの宿泊料は、驚くことに一泊500万(ニューヨーク)から710万円(スイス)もする。なにか「底が抜けてしまった」のではなく「天井がなくなってしまった」状態だ。 オーディオもこれと同じ状況になったのだろうか。もしかしたらこの側面も少しはあるかもしれない。外観の凄さと超高額価格をわざと設定して、アメリカやアラブの超富裕層にターゲットをしぼったごく小ロットの製品を出す、というように、いくつかのメーカーの商売の質が変容してしまったと考えることはできる。 だがこのような側面はメインの要素ではないだろう。 オーディオは、自家用ジェット機や豪華ヨットや最高級自動車や時計などとはちがって、自分の富や豊かさを外面的にひけらかすアイテムにはなりにくい。自宅内に設置され、(ほぼ)一人で「いい音」と向きあうような、いわば「内面性」の側に寄った趣味である。 とにかくオーディオのリセール・バリューは他の趣味物と比較してとても低い。これを買っておけば将来価格があがってお得です、ということはオーディオ製品に関してはほとんど無いといっていいのではないか。 だとすれば、今日起こっているのは、金に糸目をつけず、とにかく現在望みうる最高の「いい音」のオーディオ装置を作ってみたい、という良心的なメーカーの心意気の表れ、と好意的に考えてみたくなる。 「エジソンの蓄音器」という、音を保存・再生する装置が発明されて約150年。その後、常に「いい音」の実現に努力は続けられてきた。現在、オーディオの音は<好き嫌いや好み>という次元を超えて、なにやら客観的・普遍的な「いい音」という次元にまで到達しようとしているのではなにか。 そして、この極限的状態のオーディオ開発は、かならずや、その成果が、我々の手の届く価格帯の製品にまで浸透普及してくることだろう。ぜひともそう期待したい。 価格の高額さに圧倒されながらも、<いい音>が妥協のない次元にまで到達していたことにも圧倒されたミュンヘン・ハイエンド・オーディショウであった。面白かった。
黒崎政男