元祖・神スタイルのグラビアアイドル・菜乃花が語る「グラビアアイドル引退」の決意とグラビアへの想い
『週刊プレイボーイ』に登場する美女たちに記念すべき「初グラビア」の思い出を語ってもらう『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。前回に続いてグラビアアイドル・菜乃花(なのか)さんによる後編。 【写真】菜乃花の水着グラビア 菜乃花さんは、2011年、『週刊プレイボーイ』と『週刊ヤングジャンプ』の合同グラビアアイドル発掘オーディション「グラビアJAPAN2011」でグラビアアイドルとしてデビュー。B90W58H86という見事なバストと圧倒的なくびれによる神がかったスタイルが話題となり、週刊誌、漫画誌の表紙~グラビアに登場。し、さらには女優・タレントとしても活躍した。2024年8月にラスト写真集『しずく』を発表し、グラビアアイドルとしての活動を惜しまれながら終了。今回はグラビアへの思い、そしてグラビアアイドルを辞めるに至った経緯などについてを語ってもらった。 ーー週プレで初グラビアを撮り下ろした2012年の話ですけど、菜乃花さんはテレビドラマにも出演されていましたね。 菜乃花 出ました。『撮らないで下さい!! グラビアアイドル裏物語』(テレビ東京/2012年1月13日~4月6日)って作品。20名近くのグラビアアイドルが出て取材を受けるストーリーって、ちょっと不思議な内容でした。これもたまたまオーディションを受けたら合格しちゃって。やはり運がよかったんですよね。 ーーテレビCMに出て、週プレに出て、しかも地上波のドラマにも出る。本当にすごい新人です。 菜乃花 いえいえ。この後、仕事がまったくなくなりましたけどね。 ーーそうなんですか? 菜乃花 仕事は勝手に舞い込むものと勘違いしちゃって。かといって何をしていいかわからないから「この業界、自分がキレイになるしか、やることないな」と思ったりして。結局、半年くらい何もしなかったのかな。マネージャーさんに「仕事を取ってきて」とは言えないし、ちょっと病んじゃいました。あとすぐにSNSを開設してもらえなかったので、告知もできず撮影会をやっても、自分のお客さんがひとりもいないなんてこともあったり。 ーーそれは辛いですね。そんな中、どうやってモチベーションを維持したんですか? 菜乃花 大きかったのは、熱心なファンの存在です。ある撮影会で他のコを目当てに来られたところ、たまたま私を気に入ってくれた方がいたんですよ。しかもその後、毎回撮影会に来てくれるようになり、しかも「君はきっと売れるから」と言い続けてくれて。その方の存在がいかに励みになったか。あとは撮影会の先輩です。 ーー撮影会の先輩? 菜乃花 はい。ハロウィンの時期だったら、ただ水着を着るだけでなくハロウィンの小物を持つとか、少しでもお客さんを楽しませようと毎回工夫される方がいたんです。網タイツで出たり、アクセサリーをつけるみたいなこともあったり。人気がでる方は、ちゃんと理由があるんですよね。自分もその人を参考に、お客さんを楽しませる工夫をいろいろと考えました。 ーーそうした前向きな気持ちやお客さんを楽しませる気持ちでいるうち、仕事も上向いていった? 菜乃花 そうですね。あと、SNSを開設してからは頻繁に投稿するなど、目の前のことからひとつひとつを丁寧にやるようになって。気づいたら仕事は増えてきました。 ーー2014年以降はマンガ誌の表紙・巻頭を飾り、DVDを出せばオリコンチャートで週間1位を記録。2015年には人気グラビアアイドルの証と言われた「日テレジェニック2015」に選ばれました。 菜乃花 ジェニックの時は「このコを選ばなければおかしいでしょ」って、皆さんに思ってもらえるほどの意気込みで臨みました。特にSNSの投稿やライブ配信は相当、頑張りましたね。 ーー当時だと、週プレでは2016年48号(11月14日発売)に登場。タイトルは『乳だらけ』(撮影/北山景一)で、90cmの豊かな胸にフォーカスした4ページでした。印象に残ってることはあります? 菜乃花 う~ん。結構忙しくて、この撮影のことは覚えていないかも。すみません(苦笑)。ただその時期、週プレさんには企画モノで何度か出させていただいたけど、単独で撮っていただくのは久々で。それはすごく嬉しかった記憶がありますね。