他の子よりも「転びやすい」5歳の時に抱いた違和感…その後、30歳となった今、自身の体と向き合いながら夢を追う理由に迫る
病状の進行と格闘ゲームからの離脱
しかし、20歳前後になると、手の筋力も大幅に低下し、普通のコントローラーではゲームを楽しむことが難しくなりました。畠山さんは大好きな格闘ゲームから離れることを余儀なくされます。この時期は畠山さんにとって非常につらいもので、自分が好きだったものを諦めざるを得ないという現実が、心に大きな影を落としました。 「手の筋力が落ちていくのを感じたときは、本当につらかったです。大好きだった格闘ゲームができなくなるという現実を受け入れるのは、非常に難しいものでした」
新しい挑戦とコロナ禍の影響
畠山さんはその後ゲームから離れ、新しい趣味を見つけウェブデザイナーとして働き始めました。 その後、コロナ禍により生活が一変。外出が制限され、ヘルパーや看護師との接触も減り、自宅で過ごす時間が増えました。 しかし、この状況が畠山さんに新たな挑戦を促しました。 自分が一番好きだった格闘ゲームに再び挑戦しようと決意したのです。そして自身と同じように障がいを持つ人がeスポーツで活躍できる未来を描き、その情報発信をすることを決めました。 「コロナ禍で自宅にいる時間が増えたことで、自分と向き合う時間が増えました。その中で、やはり自分が一番好きだった格闘ゲームにもう一度挑戦しようと決めました。そしてゲームをするうちに障がいを持つ人がeスポーツで活躍できる未来を作りたいという思いが強くなりました」 そしてその後、自作で顎で操作するタイプのコントローラーを作成し、再び格闘ゲームに没頭します。 その半年後、eスポーツに関わる仕事に就きました。
eスポーツと障がいの掛け橋
現在、障がい者がeスポーツを通じて活躍できる場を提供するためのイベント制作に力を注いでいる畠山さん。特に、障がいを持つ人がゲームをプレイするための工夫やアクセシビリティを広める活動をしています。 ゲームが単なる娯楽を超えて、障がいを持つ人々にとって新たな挑戦と可能性を提供するツールであると、畠山さんは確信しています。 「ゲームは単なる娯楽ではありません。障がいを持つ人々にとって、新たな挑戦と可能性を提供してくれるものです。だからこそ、ゲームを通じて障がい者が活躍できる場を作りたいと思っています」と、思いを語ってくれました。