「仮面の忍者 赤影」で青影役 金子吉延さんは週5日の病院通いで「ダイジョーブ?」【あの人は今】
【あの人は今こうしている】 金子吉延さん (「仮面の忍者 赤影」で青影役/69歳) 【写真】高倉健さんと半同棲 「ハレンチ学園」児島美ゆきさんは今 ♪赤い仮面は謎の人~という主題歌が懐かしい特撮忍者時代劇「仮面の忍者 赤影」(フジテレビ系)。1967~68年に放送され、主役の赤影、青影、白影らの個性的なキャラクターが魅力で、再放送が何度も繰り返されるほど大人気だった。「ダイジョーブ!」が決めゼリフの青影を演じた金子吉延さん、今どうしているのか。 ◇ ◇ ◇ 金子さんと待ち合わせたのは、東武東上線のとある駅の改札。 「ずっと板橋区に住んでる。40年くらい前からは、ここからバスに乗ったところにある都営住宅にいるよ。今は働いてないから1日1食。美しい姉妹とお母さんが経営している近所のカフェ『公孫樹亭』で食べ、この駅まで出て夕飯を食べることもある。自炊はしないから」 金子さん、まずはこう言った。ん? 1人暮らしということ? 「そう。オレが32歳のころにオヤジが心不全で亡くなってから、ずっとオフクロと、軽い知的障害がある5歳年下の弟と3人で暮らしてたんだけど、97歳のオフクロは数年前、ウチから車で5分の老人ホームに入ってもらって、弟は去年11月に亡くなったから。弟は腎臓が悪く、足腰も悪かったから入院してて突然……『こんなこと、あるの?』って信じられなかったよ」 ■週5日の病院通い 一緒に暮らしていた家族がいなくなって1人とは、それは寂しいだろう。 「オフクロはオレが20歳のとき脳出血で入院し、オレが下の世話をしたんだよ。でも、長生きして、今もほとんどボケてない。老人ホームに入ってもらったのは、オレが面倒をみてあげられなくなったから。コロナ直前の2020年の正月にインフルエンザで肺炎を併発して入院したのが始まりで、その年は7回入院し、心臓の手術まで受けることになってさ。『心臓に血栓か腫瘍があります』って言われて。自覚症状がなかったから『は?』って感じだった。友だちに言わせると、その手術前は目がうつろで元気がなかったらしいんだけどね」 1週間の予定が45日間の入院となり、体重が20キロも落ちたのだとか。 「やっと退院したと思ったら、蜂窩織炎で高熱が出たり再発したりでね。今は週5日通院してる。月水金は長年患ってた腎不全の治療で1回4時間の人工透析、火土は乾癬の光線治療で皮膚科へ。昔は一晩でウイスキー1瓶飲むほど好きだったお酒も、ほとんど飲まなくなった。移動中や待ち時間の読書が、ささやかな楽しみ。今ハマってるのは、誉田哲也の警察小説『姫川玲子シリーズ』だね」 仕事は20代半ばで俳優業から足を洗い、水道管の設備工事の現場で長年働いた。 「役者を続けてりゃよかったな、とは思わない。人間関係が嫌になってやめたから。その点、水道管の設備工事の仕事は、いい仲間がいて楽しかったよ。オレが一家の大黒柱でも、月30万~40万円になったから食べていけたしね。ずっとひとり親方でやって、60歳を過ぎたら、だんだん現場に呼ばれなくなったんだ」 結婚はしなかったのか。 「一度もしなかった。したい女性に出会わなかったんだよ。幼い頃からずっと撮影所にいて、周りは大人ばかりだったから。今となったら、誰かと結婚していればよかったね。オフクロが亡くなったら、オレ、1人じゃない? 最後は孤独死だよ……」 病気が重なり、気が弱くなっているようだ。「安否確認だよ」と、頻繁に電話をくれる友人らが支えてくれているという。 ■モテモテの赤影は3回結婚 さて、東京・渋谷生まれ、板橋育ちの金子さんは、4歳のとき劇団「あすなろ」に入団。66年、映画「大忍術映画 ワタリ」で主演をはると、翌67年に放送がスタートした「仮面の忍者 赤影」で主役のひとり・青影を演じ人気獲得。その後も「河童の三平 妖怪大作戦」「どっこい大作」(NET=現・テレビ朝日系)などで主演した。 「ただ楽しい、って気持ちでやってた作品が、50年以上たった今も、覚えていてくれる人がいるんだからスゴイよね。『ダイジョーブ!』と言うときの手の動きは、演出の倉田準二先生のアイデア。赤影を演じた坂口(祐三郎)さんは、イイ男だったから女性にすごい人気だったよ。番組放送中、スポンサーだった三洋電機のイベントに、オレら3人がメインゲストで呼ばれたことがあってね。坂口さんが仮面を外したら、女性から『キャ~!!』ってすごい悲鳴があがった(笑)。坂口さんはオレと違って、3回も結婚したんだよ」 「白影を演じた牧冬吉さんが亡くなったとき、オレは知らなくて葬式に行けず、坂口さんが21年前、脳出血で亡くなったときは、マネジャーから電話があった。あ、絶対悪い知らせだ、と思ってとらず、折り返さなかったら、今度は奥さんが留守番電話に『亡くなった』って……。最後に会ったのは、その1年くらい前。九州にいた坂口さんが仕事で上京したとき、オレの行きつけの飲み屋に来てくれてね。酔っぱらってオレと別れた後、『吉延を頼むなぁ』と言ってくれてたんだって。61歳で亡くなるなんて、早過ぎるよね」 (取材・文=中野裕子)