MAZZELのSEITOが語る、ブレイクダンスへの衝動、絶望から救ってくれたSKY-HIの存在
BMSG所属の8人組グループ・MAZZELのソロインタビュー連載、第5弾。「Maze=迷路」、「Zeal=情熱」、「Mazel=幸福」の意味を持つ「MAZZEL」のメンバーは、それぞれがグループに加入するまで人生の「迷路」にいた。その中でなぜ「情熱」を絶やさずにいられたのか、そして今どんな「幸福」を感じているのかを、このソロインタビューで探っていく。今回はSEITOが登場。 【写真を見る】MAZZEL 1st One Man Tour 2024 “Join us in the PARADE” 先月の『BMSG FES’24』でも、今月の初アリーナ単独公演『MAZZEL 1st One Man Tour 2024 “Join us in the PARADE” 追加公演』でも、MAZZELの進化に驚いた。グループの絆をさらに強固なものにし、8人それぞれの得意分野とキャラクターを引き立たせたパフォーマンスが、すべての楽曲を一層輝かせていた。そんな中でSEITOはMCで、「8人で、ここにくるまでいろんな想いを背負ってきた」と語っていた(10月2日公演にて)。それぞれが人生の「迷路」を歩んでいた中で、SEITO自身は何を経験し、どんな想いを背負っていたのか。BMSGのCEOでありMAZZELのプロデューサーであるSKY-HIとの長年の関係性についても聞かせてもらった。 ―みなさんに幼少期から現在に至るまでの話を聞かせてもらっているのですが、SEITOさんはいつ頃からダンスをやられていましたか? 幼稚園か小1くらいから、ダンス自体は一応やってました。ダンスというか「お遊戯」みたいな感じだったんですけど、市が公民館でやってるようなところに通ってました。『仮面ライダー電王』で佐藤健さんのブレイクダンスを見て興味を持ったことがきっかけです。 ―『仮面ライダー』を見て、佐藤健さんのブレイクダンスに「かっこいい!」ってなるのは、着眼点としてユニークですよね。 たしかに(笑)。すべてはそこから始まりました。 ―市の教室では、ブレイキン以外もやっていたんですか? そうですね。最初からブレイクをやりたかったんですけど、「頭で回りたいのにレッスンで全然回られへんな」と思ってたら……ずっとヒップホップをやっていて。 ―(笑)。 そりゃ回らへんわ!って(笑)。小4くらいから、他のところで本格的にブレイクを習い始めました。 ―そこから「BATTLE OF THE YEAR 2016 JAPAN U-15 BREAKING SOLO BATTLE」で優勝するくらい、なぜブレイクに熱中していたのだと思いますか? 小さい頃から音楽が好きやったし、人前に立つのが好きやったんで、その2つが大きいですかね。どちらかというとシャイで人前になったら何もできない、みたいな感じだったんですけど、ダンスだけは踊りたがるというか。小さいときは、ダンスになったら自分を表現できる感覚があったんだと思います。 ―シャイボーイだったのに、ダンスだけは人前で堂々と「自分を見てくれ」と言える自信があったんですね。 ありましたね。なぜかわからないですけど、わりと始めたくらいからダンスだけは自信満々でした。 ―当時、どんな音楽が好きでしたか? 初めて衝撃を受けたのは、Ne-Yoです。お母さんがNe-Yo、Backstreet Boysとか、R&B、洋楽を車でかけていて。あと、小さいときからお父さんとお母さんがカラオケとかが大好きだったのでよく連れて行かれていて、そこで昭和の曲を知るようになりました。