MAZZELのSEITOが語る、ブレイクダンスへの衝動、絶望から救ってくれたSKY-HIの存在
ダンスバトルに捧げた10代
―小4でブレイクダンスを始めて、15歳以下の大会で優勝するまでは、どんな日々でしたか? 初めてブレイクを習った師匠が世界でも有名なMORTAL COMBATというチームのKakuさんで、中学時代はMORTAL COMBATの下についてました。レッスン自体も「訓練って呼べ」みたいな(笑)。倒立を3分やらされたり。1日中ずっと、エグいくらいの練習を毎日してましたね。やばかったです、ほんまに(笑)。 ―逃げだしたくなることはなかったんですか? マジでなかったです。辞めたいと思ったことは1回もなかったくらい、楽しくてしょうがなくて。ダンスバカでした(笑)。飽き性なんですけど、ダンスだけは続けてました。なので学生時代は遊んでる記憶がほぼないです。本気でやると決めたときに、ゲーム機とかも「もう全部いらん」と思って捨てたんです。友達とも全然話が合わへんし、ダンスの友達としかしゃべることもなくて。だから青春の記憶が全然ないですね。 ―学校では周りと価値観が合わなかった? 周りに大人の方もすごく多かったですし、あの歳頃では経験できないような人生を送っていたと思います。同い歳の子を「子どもやな」と思っていたとかではないんですけど、どうしても感覚や価値観が合わなくて。アメリカへ行って、バトルして帰ってきて、そのまま学校に行って、時差ボケのままテストを受けたりしていたんです。ダンスをやっているだけで「イキってる」みたいに言われることもありました。自分の中で勉強を疎かにしちゃいけないと思っていたので、どっちも頑張っていたんですけど、両立が大変でしたね。 ―そんな大変な中で、日本一がとれたときは――。 めちゃくちゃ嬉しかったです。しかも全国優勝する前に、もともといたチームを辞めたんですよ。だからそのときは、どうにかして結果を残さないと、と思っていて。辞めたからにはちゃんと1人のダンサーとして認めてもらいたいという気持ちで挑んで、1週間後くらいのバトルで優勝したので嬉しかったです。 ―かっこいい! この質問をRANさん、TAKUTOさんにもさせてもらったのですが……ダンサーとして特に思い出深い曲を1曲だけ挙げるとすると? ずっとバトル前に聴いていたのは、LINKIN PARKの「Faint」。これを聴くと気持ちが燃えてました。MORTAL COMBATがよく使っていた曲でもあるんですけど、自分がソロでやるときもこの曲を使ったりしていて、思い出深いですね。 ―Ne-Yo、Backstreet Boys、LINKIN PARKと、2000年代のUSの音楽に馴染み深いんですね。他は、どんな音楽に触れてました? ジェームス・ブラウン、RHYMESTER、スヌープ・ドッグ、90年代のヒップホップ、あとアフリカの音楽とか、いわゆる「B-BOYビーツ」で踊ってましたね。洋楽以外でいうと、それこそずっとAAAを聴いてました。僕がダンスを始めるきっかけになった『仮面ライダー』の主題歌もAAAで、その曲(“Climax Jump”)がめちゃくちゃ好きやったんですけど、中学生のときに初めてAAAのドームライブを見に行ってドハマりしました。あの日は自分にとってデカかったです。人生で初めて観たアーティストのライブで、「アーティストってかっこいい」ってなって。初めてドームのお客さんの歓声を浴びて、衝撃的だったというか、もう言葉が出ないくらいだったんです。しかも踊りながら歌ってるのがかっこよくて。「音楽」を伝えるっていいな、アーティストっていいなって、そこでめちゃくちゃ思いました。でもダンスで頑張っていこうと決めていたので、自分の心の中の「もう1個の夢」というか、密かな夢みたいなものになってましたね。 ―ダンサーとしてステージに立ったときに浴びる歓声と、AAAのライブでの歓声に、違いを感じたということですか? そうですね、全然違いましたね。自分が経験してこなかった歓声をドームで感じました。オープニングのときの「キャー」とかを聞いて、自分もこんなことをやりたいなって。応援してくれる人たくさんいてるし、もう全部がキラキラしていて……めちゃくちゃ憧れてしまったんですよね。そのときから「絶対にSKY-HIさんといつか何かやる」って、なぜかわからないんですけど友達に言いまくってました(笑)。