京都国際・中崎琉生が振り返った栄光の夏 「春に気づくことの大切さを学んで、成長することができた」
中崎自身が"周りが見られていなかった"と言うように、それが普段の姿勢にもモロに出ていた。だが、センバツでの試合を通して猛省し、周りを見渡すことを心がけるようになった。 夏の甲子園では準決勝の青森山田戦で先発するも、4回2失点で降板。5回からマウンドに立った西村が2安打無失点と好投しチームはリベンジを果たしたのだが、決勝進出を喜ぶチームのなかでひとりだけ目を潤ませて肩を落としていた。 「自分が不甲斐ないピッチングをして、チームに迷惑をかけてしまった。申し訳なくて......」 エースとしてのプライドもあったのだろう。心を鬼にして挑んだ決勝戦では、3回まで無安打に抑える"完全投球"を披露し、4回以降も許した安打はわずか3本。延長タイブレークの10回に入ってからマウンドは西村に譲ったが、気迫溢れるピッチングでチームの新たな歴史を刻む立役者となった。 「気力があったからあそこまで投げられたというのはあるのですが」 【超えなければならない先輩】 夏の甲子園のマウンドで、中崎はあることを唱えながら投げていたという。 「『このボールで締めよう』とか『ここはこれで抑えよう』とか、ブツブツ言って自分に言い聞かせながら投げていたんです。口に出して言えば、何か変われるのかもしれないと思って......。実際に抑えられたので、言ってみるもんだなと思いました」 京都国際が勝ち進むたび、韓国語の校歌などグラウンド外のことが話題になった。それでも「応援してくれる人に感謝の気持ちを表したかった。だから、しんどいとも言っていられなかったというのもありました」と、中崎は振り返った。 京都国際に入学した春、チームのエースとして君臨していたのが森下瑠大(DeNA)だった。 中崎が「身近で尊敬できる先輩。こんな左ピッチャーがいるんだと驚きました」と、今でもリスペクトは止まない。その森下が2年生だった21年の夏の甲子園はベスト4だった。チームの成績としては森下を超えたが、個人としては「森下さんを超えたとは思っていない」と本人は言う。
「この2年半で大切だと思ったのは、"気づき"です。自分は今年の春に周りを見ることの大切さに気づけて、そこから成長できたことはあります。でも、もっと早く気づいていたら森下さんを超えられたのかもしれないと思っています。この2年半の反省を、これからの野球人生に生かしていきたい。今のままでは、まだまだ森下さんを超えられないです」 期待された新チームは府大会4回戦で京都外大西に2対3で敗れ、来春のセンバツ出場は絶望的となった。今秋、中崎から背番号1を受け継いだのが西村だった。 つづく>>
沢井史●文 text by Sawai Fumi