2度の引退を経て再び代表へ。Wリーグ・吉田亜沙美が伝えたい「続けること」の意味「体が壊れるまで現役で競技を」
競技から離れて気づいたこと「心も体もリフレッシュできた」
――引退後の心境の変化についても教えていただけますか? 吉田:最初の引退の後は半年間バスケットから離れたのですが、心も体もリフレッシュできた、私にとってとても大事な時間でした。その間に代表の練習や親善試合を見に行ったり、カテゴリー関係なく、ミニバスから大学までいろいろな練習や試合を見ました。それで、だんだん自分の気持ちにも余裕が出てきた時に、代表の親善試合をもう一度見たんです。そこで、「もし自分が東京五輪でユニフォームを着てプレーしたら、どんな景色なんだろう?」ということに興味を持つようになって。その後、いろいろな人に相談して、東京五輪を目指して復帰を決断しました。 ――自分の気持ちと丁寧に向き合った中での決断だったのですね。ただ、東京五輪はコロナ禍で1年間、延期となってしまいました。 吉田:「東京五輪のために頑張ろう」という思いで復帰を決めたので、延期が決まった時にはそのメンタリティを1年間、保持し続けることが難しいと感じました。復帰後数カ月でWリーグが始まったこともあって、当時は肉体的な面でも難しさを感じていたんです。それで、悩み抜いて東京五輪を断念した時に、2回目の引退を決断しました。 ――2度目の引退の後は東京医療保健大学でアシスタントコーチをされていましたが、違う立場を経験されたことで考え方が変化した部分はあったのでしょうか? 吉田:はい。指導することにずっと興味はあったのですが、いざ指導者になってみると、それまで感覚でやっていたバスケットを「言語化して選手に伝える」ことがなかなかできなくて、それが自分の課題でもあったので、本当に難しかったです。ただ、伝え方を変えてみたり、じっくり考えて伝えたりしていく中で、選手が理解してくれて、本人の力を発揮できたときは、自分がプレーしてうまくいくよりも嬉しさや楽しさを感じたんです。そうやって、指導者として選手たちと向き合ってバスケットを教えることはすごく楽しかったですね。 ――その後、23年4月に、Wリーグのアイシンウィングスで2度目の復帰を果たしています。この時はどのような経緯だったのですか? 吉田:復帰の話を受けた時には「3年近くもブランクが空いたから無理だろうな」と思い、悩んだのですが、「今しかできないことってなんだろう」と考えたときに、「指導者はもう少し後でもできるな」と。それに「1年後に復帰しようと思っても、絶対にできない」と思ったので、一歩を踏み出して復帰するという決断に至りました。