球界に”衝撃”…まさかの退団を経験した大物(2)”引退熟考”からホームラン王に
球界に入る者がいれば、去る者もいる。毎年10月にはドラフト会議が開催され、新たにプロ入りの切符を掴むが、一部の現役選手は戦力外通告などで厳しい現実が叩きつけられる。過去には、まさかの形でチームを退団した選手も数多く存在。そこで今回は、戦力外通告または自由契約を経験した大物選手を紹介する。
山﨑武司
出身:愛知県 投打:右投右打 身長/体重:182cm/100kg 生年月日:1968年11月7日 ドラフト:1986年ドラフト2位 山﨑武司は、戦力外から這い上がった選手の1人だ。 1986年ドラフトでドラゴンズに入団した山﨑は、9年目の1995年に初めて2桁本塁打を達成。「遅咲き」とも言える活躍を見せると、1996年は打率3割(.322)・30本(39本塁打)・100打点(107打点)という脅威の数字を残し、本塁打王に輝く。その後も主砲として活躍を続けたが、2002年は極度の不振に陥り同年オフにトレードとなった。 2003年からはオリックス・ブルーウェーブに移籍したものの、当時の監督だった伊原春樹とソリが合わず、監督室にバットを投げることもあったほどだ。そして、2004年に戦力外通告を受ける。 引退も考えたと言われていた中、2005年から新設された東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。すると、イーグルス在籍3年目にキャリアハイの43本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得した。 野村克也のもとで蘇った山﨑は、2009年のCS(クライマックスシリーズ)でも仙台で本塁打を放った。ダイヤモンドを一周し、野村監督と抱擁した瞬間はイーグルスファンの脳裏に深く焼き付いているはずである。
ベースボールチャンネル編集部