あの日から消えた両親、再会したのは夢の中 小1だった「震災遺児」力強く歩んだ13年 #知り続ける
【現実 受け止められず】
「母さんは見つかったけど、父さんはまだ見つかっていないんだ」。平塚市の祖父から母親の死を告げられた。震災から半年が経過していた。仏壇の前だった。姉の目からは涙が落ちたが、悠輔さんは泣けなかった。最愛の人を失った衝撃をどう理解すべか分からなかった。 「ぼうぜんとしたような感じだった」と振り返る。自宅にいた両親は祖父母の家に車で迎えに行ったところで津波に巻き込まれたとみられる。祖父母の遺体も確認されたことを知った。「何でなんだろう」との思いが巡った。
【夢の中で再会】
以来、夢に両親が現れるようになった。ゲームセンターで遊んでいる自分を迎えに来てくれる2人。安心したのもつかの間、目が覚めて夢と気づく。 「何で津波から逃げてくれなかったのか」。どうしようもなく寂しくなり、旅立った母を非難するような思いもよぎった。 「行方不明の父はいつか来てくれるんじゃないか」と期待したが、姿を見せることはなかった。徐々にではあるが、現実を受け入れるようになった。友人と過ごす時間が、心の傷を癒やしてくれた。
【音楽との出合い】
夢中になれる音楽との出合いもあった。小学校高学年でイギリスに研修旅行した時、各国の子どもを前にカラオケを披露し、その場を盛り上げた。歌ったのはジャクソン5。物おじしない性格にしてくれた両親のおかげだろう。次第に将来は音楽に関わる職業に就きたいと考えるようになった。 高校から軽音楽を始め、さらにのめり込んだ。ギターやベースを演奏し、ボーカルも務めた。楽器その物にも興味を持ち始めた。 2年前から東京都内の専門学校に通って楽器製作や修理方法を学んでいる。小さな自分が抱えていたような寂しさに届く音色を響かせたい。木材の加工や色を塗る細かな作業に苦戦しながらも作業台に向かう。4月からは就職活動が始まる。楽器店のスタッフが目標だ。仲間とライブする機会もある。「もしも見てもらえるならこんなにも今を楽しんでる姿を見てほしい」と天国の家族に語りかける。