【対談連載】少女歌劇団ミモザーヌ いわむら ゆきね(1期生・団長) ちば ひなの(1期生・副団長) すずき みあい ムェンドワ(1期生・特待生)(上)
【大阪・難波発】早春の頃、黄色い小さな花が集まって鮮やかに咲き誇るミモザ。そんなミモザにちなんで誕生したのが「少女歌劇団ミモザーヌ」だ。団員である10代の少女たちは、20歳で卒団するまで、歌やダンスのみならず日舞や殺陣、華道などの習得にも励む。10代の女性が『千人回峰』の紙面を飾るのは初めてのこと。さぞ華やかな話が満載かと想像していたら、あにはからんや。語られたのは自身への深い探求と分析から生まれた、ストイックでピュアな言葉の数々だった。 (本紙主幹・奥田芳恵) ●――挨拶しながら、3人と向き合って―― 芳恵 ああ、本当に華やかですね。周囲が明るくなるようです。まずは、自己紹介からお願いできますか。 いわむら いわむらゆきねです。団長です。 ちば ちばひなのです。副団長です。 すずき すずき みあい ムェンドワです。団員で特待生です。 芳恵 特待生というのは? すずき 1カ月に1度、東京に行って歌の強化レッスンを受けたり、落語や歌舞伎を観たり、芸事をする上で大切なことを学ばせていただいています。 芳恵 そういう特典があるのですね。皆さん、第1期生ですが入団されたのはいくつの時ですか? いわむら 私は中学。1年生。13歳でした。 ちば 私は12歳でオーディションを受けて、入団は13歳。中学1年生です。 すずき 私は13歳。中学1年生でした。 芳恵 オーディションはいかがでした? いわむら 実は「少女歌劇団」という名称から堅いイメージがあって、自分が合うのか悩んだことも…。でも合宿審査で、参加したみんなと練習したことがすごく楽しくて、やってみたいと思いました。 ちば 私、その合宿審査の曲がアイドルっぽくて、「ちょっと自分は違うかも?」と思いつつ、合格できたので、じゃあ頑張ろうかなって。 すずき その曲、私も「ええ!?」って思ってました。すごくアイドル曲っぽくて。とにかく歌うのが恥ずかしくて、鏡に映る自分の姿も見たくないくらい…。 芳恵 どんな曲だったんですか? すずき (少し考えていたが、いきなり歌いだして)M!I!R!A!I! MIRAI!みたいな。 ―3人、弾けるように大笑い― いわむら まさか歌い出すとは思わんかった!! ちば びっくりした! すずき だって、歌ったほうがわかるやん。 芳恵 (大笑いしながら)確かに!よくわかりました。 でも、アイドルっぽい曲がイヤだったということは、アイドルを目指していたわけではないと。 いわむら はい。ミモザーヌ自体がアイドルではなくて“舞台人”としてあるようにと言われています。 ちば 総合演出の広井王子さんからは「普通の青春を味わおうとしてはダメ」だと。 芳恵 いわゆる部活をやったり、友達と遊んだり…というのはダメというわけですね。 ちば はい。私たちはそれができないんです。学業優先なのでレッスンは土日だけなんですが、そのレッスンのために平日の放課後はずっと自主練で。 すずき 入団して3年間はずっと基礎練習なんです。 芳恵 基礎練習はどんなことをするんですか。 ちば ダンスだったら、ストレッチ、筋トレ、体幹の鍛錬。歌だったら、発声練習やリズム取りだけで1日が終わることもあります。 芳恵 それが3年間続く…。 いわむら その上、基礎練が始まってしばらくしたらコロナ禍になって。 芳恵 そうか、コロナ禍の時期だったんですね。じゃあ、レッスンはオンラインで。 ちば そうなんです。入団してすぐはみんなと対面で練習していたので、会えないのが本当につらかったです。 すずき 先生から厳しいことを言われた時、対面だとみんなで話し合ったりできるんだけど、オンラインでは一人で受け止めるしかなくて。 いわむら 実はその状況に耐えきれなくて、辞めてしまう子もいました。 芳恵 うーん。厳しい。まさに修行だったんですね。 一同 (異口同音に)ああ! そうです。修行でした。 ●日常生活のすべてがミモザーヌにつながる 芳恵 そういう厳しい期間を乗り切れたのは、どうしてだと思います? いわむら 残っているメンバーで支え合ったことが大きいですね。 すずき オンラインのレッスンで顔を見た時に「あ、この子ちょっとやばいかも」って思うと、電話したりして。 ちば 私も、絶対にまたみんなでレッスンしたいと思ってました。 すずき それと、まだ何もやり遂げてないうちに辞めるのは絶対にイヤだった。もっと学んで何かを成し遂げて、メンバーみんなで喜びたいって。 芳恵 つらい経験でしたが、得るものはありましたか。 いわむら はい。自分と向き合う時間がすごく増えたので、メンタルはずいぶん鍛えられましたね。 ――ちば、すずき、大きくうなずく―― 芳恵 コロナ禍の修行とは別に、「私、ここは頑張った!」と思うことってありますか? いわむら 入団したての頃、広井さんに「ゆきね(いわむらさんの名前)は、全然俺の目に入ってこない」と言われたんです。ショックでしたけど、逆に「ゆきねしか目に入らない」って、絶対言わせてみせる!って(笑)。 芳恵 奮い立ったんですね。 いわむら あえて人と違うことをしようと、みんながやりたがらないトップバッターを狙ったりしてました。 芳恵 頑張りましたねえ。ちばさんはどうですか? ちば 基礎練習とかすごく頑張っているのに、全然認めてもらえない期間があって、「これ以上何をすればいいの?」と悩む時がありました。 芳恵 努力が報われないと感じる時期は、とてもつらいですよね。 ちば だけど、「きっと何かが足りないんだな」と思い直して自分と向き合ってみたんです。それで「自分はここは得意だけど、ここが苦手」って分析して、苦手を補いながら得意を伸ばすことを心がけました。 芳恵 すごい精神力ですね。 ちば はい。メンタル鍛えられてますから(笑)。 芳恵 すずきさんの頑張ったことは何でしょう? すずき 自分の歌が上達し始めた頃、ある先生に「きみは声はきれいだけど、面白くないね」と言われたことがあって、すごくショックで…。声がよくて歌がうまいだけではダメなんだって。 芳恵 うまい歌と面白い歌。どう違うんでしょうね。 すずき うまい歌というのは、音程を外さないとか歌う技術がある。それはそれで悪くはないけど、心に残らなくてただ普通にうまいだけ。でも、そこに面白さが加わると、歌を聴いた瞬間にその人の生き方や人物像が見えてくる。そんな歌が歌えるように頑張っています。 芳恵 皆さん、ものすごく自分と向き合うし、たくさん考えていらっしゃるんですね。 ちば 「常にお芝居につなげられるかどうか考えて」と指導されているんです。歩いたり食べたりという行動を演じるのではなく、いかにナチュラルにできるか。ミモザーヌに入ってから、普段の生活の行動や仕草を意識して考えるようになりました。 いわむら 毎日、頭の中はずっとミモザーヌです(笑)。 すずき 夢の中にもたくさん出てきます。 芳恵 どんな夢なんですか? すずき どういうわけか、ほめられた日に限って見るんですけど、「もう舞台に立たないで」って言われる夢。 ――いわむら、ちば、「それはきついー」―― すずき なので、目が覚めてから「もっと練習しなくちゃ」って思います(笑)。 (つづく) ●大切なお守り いわむらゆきね 広井王子さんの奥様がメンバー一人一人に贈られた手縫いのお守り。いつも公演本番前に握りしめて「舞台がうまくいきますように」と祈るという。 ●日々が綴られたミモザノート ちばひなの 入団と同時に支給され、レッスンで学んだことや質問などを書いて広井さんに提出する。悔しかったこと、うれしかったこと、ちばさんのすべてが記録されている。 ●すべての時間を共にしているイヤホン すずきみあいウェンドワ 「音楽のない日常は考えられない」というすずきさん。家にいる時、出かける時、片時も離すことはなく、もはや身体の一部になっているそうだ。 心に響く人生の匠たち 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長) <1000分の第352回(上)> ※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。