<春風を待つ―センバツ・宇治山田商>選手紹介/8 /三重
◇悔しさをバネに適時打 河村蒼太内野手(1年) 仲間に冗談を飛ばすと笑いが起きる。カラオケでマイクを握れば「嵐」の「Love so sweet」を熱唱する。明るい性格だが、実は「負けず嫌い」の顔も持つ。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 背番号15を付けて出場した、昨秋の東海大会中京(岐阜)戦。点の取り合いとなった終盤、代打で適時打を放った。「来た球を絶対打ったる」。握ったバットに力がこもったのにはわけがあった。 同じく代打として出た昨年9月の県大会の2回戦で、チームはコールド勝ちした。しかし打席に立った自身は3球三振を喫した。チームに対して何もできず「悔しかった」。奮起のバネになった。 南伊勢町出身。同町には中学の硬式野球チームが無いといい、中学時代は大紀町などを拠点とする「奥伊勢松阪シニア」に入った。片道約40分かけて車で送ってくれた母には、今でも感謝している。 ◇「外野どこでも」太鼓判 柴山塁外野手(2年) 昨秋の公式戦は主に守備固めで試合に登場。高校入学後に右翼手、中堅手、左翼手のすべてを経験し、村田治樹監督は「外野はどこでも守れる」と太鼓判を押す。 「守備で期待されている」と自覚したのは昨秋。走者を付けたノックの練習を繰り返した。すると、捕球した時に走者がベースを踏むまでの時間と、送球の時間を瞬時に計算して判断できるようになった。中学時代に投手も務めていたことが、遠投95メートルの強肩の下地にもなった。 津市出身。趣味は音楽で、特に韓国発のガールズグループ「LE SSERAFIM」(ル・セラフィム)の曲を聞くと「気持ちが上がる」。聖地は、祖父の吉田耕太郎さんも津高在籍時の1953年夏に出場した夢舞台。「1球を大切にしながら、悔いの無いプレーをしたい」と力を込めて言った。=随時掲載 〔三重版〕