アマゾンやセブン-イレブンも実践「物流で利益を生み出す」驚きの手法 勝ち組企業に学ぶ「全体最適」の要諦
日本軍は、この兵站を軽視したために、多くの命を失い、戦争に負けるにまで至ったのです。また、海外からの物資を運ぶ運搬船の警護を怠ったため、運搬船がほぼ全滅し、日本国内では、物資不足に喘いだという歴史の事実もあります。 中国の歴史に、「泣いて馬謖を斬る」という有名な言葉があります。これは、有名な参謀である諸葛亮(孔明)が、兵站(ロジスティクス)を無視した戦いを仕掛けた、かわいい部下の馬謖を斬ったという話です。
馬謖は、「あの山には決して登るな」という諸葛亮の指示を無視し、その山に登り、陣を張り、敵に兵站を絶たれて、苦境に立たされました。そのような指揮をした馬謖を、諸葛亮が斬ったのです。 兵站が切られると、食料品が途絶え、兵隊の士気も下がります。そして、大敗を喫してしまうのです。諸葛亮は、兵站(ロジスティクス)を重視した軍師でした。 日本において物流の概念が広まったのは、1960年半ばといわれています。
江戸時代より水運で物を輸送していた日本は、1950年代頃までは陸路は未発達でした。道路も未舗装でガタガタだったため、物を運ぶ際、日数もかかり、物の破損も多く起こっていました。 1950年代に、日本政府は、アメリカに視察団を送り、インフラ整備、輸送・保管機能の重要性を学び、いまでいう物流インフラの拡充の必要性に気づきました。 1970年くらいから、会社名を「〇〇物流」とする会社が増えてきたのと一致します。私の父親が光輝物流を創業したのは、1973年でした。
高度経済成長期には、大量生産で、大ロットの物流が主流で、菅原文太さん主演の映画『トラック野郎』で見られるように、寝る間を惜しんで、トラックを運転するトラックドライバーは、高年収で、かっこいいといわれていました。 ■広まる「サプライチェーン」という考え方 1980年代後半の日本は量から質の時代に転換し、現代につながる多品種小ロット生産の時代になりました。その結果、多頻度小口配送になり、同時に、売上全体に占める物流費比率が上がり、企業経営を圧迫し始めました。