すしざんまい社長が憧れたのは「パイロット」、「前例ない挑戦」で毎日過酷なトレーニングも…「極限状態なんでもできる」
すしチェーン「すしざんまい」を全国に展開する「喜代村」社長の木村清さん(72)は中学卒業と同時に航空自衛隊に入隊。目指したのは大空を飛び回る戦闘機のパイロットだった。(読売中高生新聞編集室 鈴木経史) 【写真】バイトをしながらも成績優秀、中学時代のすしざんまい社長
極限状態になると…
「実を言うと、パイロットには幼い頃から憧れていたんです。父が交通事故で亡くなった3歳のとき、みんなが泣いているところにいたくなくて、葬式の最中に一人で外に出ました。そのとき、空を真っ赤なアメリカ軍の戦闘機『F86セイバー』が飛んでいくのを見たんです。そのかっこいい姿を見た瞬間から、パイロットになるのが夢になりました。
15歳の私が入隊したのは、埼玉県熊谷市にあった『航空自衛隊第4術科学校航空生徒隊』です。当時の教官はみんな第2次世界大戦の生き残りですから、訓練は厳しく、まず最初に腕立て伏せを1000回やるように言われました。同期100人のうち、1人でも脱落したら最初からやり直し。『絶対に無理!』と思いましたが、不思議なことに1か月もすると1000回できるようになるんですよね。『極限状態になるとなんでもできる。人間の力ってすごいな』と実感させられました」
3か月の訓練が終わる頃には、顔つきや体形もすっかり自衛官らしくなってきた。しかし、そこで衝撃の事実を知らされる。
「入隊したときには、当時、最新鋭だった戦闘機『F104』に乗れるという説明を受けました。それなのに、いつまでたっても操縦訓練は始まりません。おかしいと思って先輩に尋(たず)ねると、『お前たちはトンツー(通信兵)だから乗れないよ』と言うのです!
パイロットになるには、高校を卒業して、航空機の操縦学生になる必要がありました。私たちはそうとも知らず必死に訓練を重ねていたのです。ショックで辞めようかと思いましたが、夏休みに実家に帰ると母や町中の人が大歓迎してくれて、とても言い出せる雰囲気ではありません。仕方なく部隊に戻り、一日も早くパイロット候補の資格を得るため、大検(大学入学資格検定=現在の高校卒業程度認定試験)を目指すことにしました。