織田信長や徳川家康も楽しんだ長良川鵜飼!鵜匠と鵜の1300年続いている伝統漁法は必見
1300年続く伝統漁法
山頂に岐阜城がそびえ立つ金華山。その北を流れる長良川の川下に陽が沈み、闇が濃くなってきた頃、鵜飼開始の合図となる花火が打ち上げられる。今年も例年通り、5月11日から長良川鵜飼が始まった。10月15日までほぼ毎日行われ、その歴史は1300年以上といわれる。 川上にぼんやりと六つのかがり火が見えると、徐々に大きくなってくる。船首にかがり火を掲げた6隻の鵜舟が縦列になって、1隻ずつ下っていく。鵜舟の前方に立つ鵜匠は10本ほどの手縄(たなわ)を握り、その先には鵜が繋がれている。「ホウホウ」と声を掛けながら、手縄を巧みに操る。かがり火によって水面は煌々と照らされ、灯りに驚いた鮎を鵜が捕らえて飲み込む。 かがり火の火の粉が巻き上がり、鵜が躍動する。「名水100選」に選定されている澄んだ川の中で、鵜が獲物を探す。鵜の首に巻かれた手縄は適度な強さで縛ってあるので、喉元に2~3匹の鮎をため込める。鵜匠は鵜を舟上に引き上げて吐かせ、再び川面に戻す。見事なコンビネーションだ。 最後に6隻が川幅いっぱいに横に並び、鮎を浅瀬に追い込む「総がらみ」が行われる。船べりを叩く音がこだまして、1300年続いている伝統漁法のクライマックスが近付く。 「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」 鵜飼を見物した俳人の松尾芭蕉は、鵜飼の盛り上がりとその反動による寂しさをこのような句に残した。視覚、聴覚を大いに刺激された鵜舟が去った後、川は静けさを取り戻して闇に包まれる。
鵜匠と鵜
長良川鵜飼の鵜匠は岐阜市に6人おり、すべて宮内庁式部職の国家公務員である。世襲制で、男性のみ。6家ある鵜匠の家に男子として生まれなければ、鵜匠になることができない。 鵜は茨城県日立市で捕獲されたウミウで、鵜匠と生活をともにしながら2~3年かけて育てる。鵜匠はその日体調の良い鵜を選抜して鵜飼に連れて行く。鵜匠の意思を理解し、「人鵜一体」となるのは容易ではない。 鵜飼で獲れた鮎は鵜のくちばしの跡が付いている。鮎は鵜に捕獲された時に死に至るため、新鮮で美味しいといわれる。市場に出ることは少なく、貴重とされるゆえんだ。 岐阜城を居城とした織田信長は賓客に鵜飼を供し、徳川家康と秀忠は大坂夏の陣の帰りに鵜飼を見たとされる。鵜飼で獲れた鮎を使った鮎鮨は幕末まで将軍家に献上された。現在でも年に8回御料鵜飼が行われ、獲れた鮎は皇室に届けられている。