大塚愛さん(41)「私はこれ!」と決めずに日々アップデートしたい|VERY
2003年、デビューの年にリリースした2ndシングル『さくらんぼ』の大ヒットを皮切りに、数々の名曲を生み出してきたシンガーソングライターの大塚愛さん。この夏は初の個展を開催するなど多才な大塚さんですが、デビュー以降、求められるイメージと本当の自分とのギャップに悩んだ時期があったそう。自分を変えるきっかけになった出来事を伺いました。 【写真あり】油絵で表現する大塚愛の世界
街で声をかけられても他人のフリをしてしまった
──VERY読者は30代前後、育児中の人が多いです。大塚さんご自身の30代はいかがでしたか? 28歳で出産したので、私の30代は基本的には育児最優先でした。30代前半くらいまでは家でこなせる仕事を少しずつ、という働き方だったのですが、アーティスト活動を本格的に再開しようと思い直したきっかけがあったんです。街を一人で歩いているとき「大塚愛さんですか?」と声をかけてくれた方がいたのですが、とっさに「違います!」と他人のフリをしてしまって。すっぴんだったから、とかプライベートだから、といった理由ではなくて、「大塚愛です!」と自信をもって言えなかったからです。いつの間にか自分で自分を誇れないような気持ちになっていました。 21歳でデビューしてから出産で仕事をセーブする30代前半まで、いろんなテイストの楽曲を発表してきたつもりだったのに、『さくらんぼ』など明るくてキュートな楽曲のイメージが定着していました。1曲のイメージに縛られたことで、せっかく多くの人に自分の曲を聴いてもらっているのに「苦しいな、逃げたいな」という気持ちさえ感じていました。そんな気持ちを抱えたまま仕事をセーブしていた時期だったので、声をかけられたときに逃げてしまったんだと思います。でも、こんなイメージのまま活動をフェードアウトしてしまうのは嫌でした。胸を張って「大塚愛です」と言えるようになりたい、とアーティスト活動を再開することにしました。休業期間をはさんだことで「こういうイメージが求められているはず」という商業的な感覚をリセットできたことは結果的によかったです。復帰後は何よりやりたい楽曲を追求しました。ビジュアルに関しても「元気でナチュラルな感じ」を求められてきたのですが、復帰後はあえて髪をばっさり切ってモードな印象のパーマスタイルのショートに。