彬子女王殿下が、京都・二条通で感じられた「日本古来の薬の役割」
「草で治療する」から「薬」
その二条通には、薬の神様をお祀りした薬祖神祠(やくそじんし)がある。鳥居をくぐってひょいと中を覗いてみると、ガラス張りになっていて、その奥には、日本の薬の神様である「大己貴命(おおなむちのみこと)/大国主命(おおくにぬしのみこと)」と「少彦名命(すくなひこなのみこと)」、中国の医薬の神様「神農」、そして古代ギリシアの医者で、西洋医学の父とされる「ヒポクラテス」が合祀されていた。 日本も中国もギリシアの神様も一緒にお祀りして、感謝しようというこのおおらかさ。二条通の一風違った空気感はこういうことか、と、なんだかひとり合点がいった。 明治に入り、さまざまな文化が西洋から入ってきて、日本古来の文化がその役目を終えたり、規模を縮小せざるを得なくなったりした。それはもちろん自然の理であるのかもしれない。でも、その流れの中で、今もその姿をとどめ、残ってきているということには必ず理由があるはずだ。 「薬」という字は、艸(くさ)かんむりに楽と書く。楽とは、「治療する」という意味だと言われている。「草で治療する」から、薬。原始時代から人間は、天然の植物を薬用に使ってきた。それが、和薬や漢方薬という形で現代に残っている。 日本人が大切に守ってきた「薬」の役割を再認識し、自然が人間に与えてくれている恵みに改めて感謝したいと思ったのだった。
彬子女王