戦後日本を代表する政治家たちが「完全にまちがった認識」をしてしまっていた…日米間の「深刻な亀裂」の原因
アメリカによる支配はなぜつづくのか? 第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていた国々は、そのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めている。それにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは? 【写真】なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」 累計15万部を突破したベストセラー『知ってはいけない』の著者が、「戦後日本の“最後の謎”」に挑む! ※本記事は2018年に刊行された矢部宏治『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』から抜粋・編集したものです。
兄(岸信介)の結んだ密約を、「よくは知らん」といった弟(佐藤栄作)
岸信介と佐藤栄作という、日本の戦後史を代表するふたりの政治家がいます。 このふたりはそれぞれ安保改定(1960年)と沖縄返還(1972年)という巨大プロジェクトを手がけ、そのときアメリカとのあいだで重大な密約を結んだことでも知られています。そしてみなさんよくご存じのとおり、このふたりは名字こそちがいますが、実の兄弟です。 その佐藤栄作が、兄である岸信介が安保改定のときに結んだ密約について、どういっていたか。なんと、 「どうも岸内閣のとき、そういうものが若干あったらしいんだな。よくは知らんけど」 といっていたのです!(1969年10月27日) これはほかでもない、佐藤が沖縄返還の秘密交渉を任せた、当時39歳の国際政治学者、若泉敬氏による証言です(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋)。 佐藤はまた、自分が訪米してニクソン大統領とサインを交わすことになった「沖縄・核密約」(=有事における沖縄への核兵器の再配備を認めた密約:→【資料1】)についても、若泉からその機密の保持にはくれぐれも気をつけてくださいと念を押されたときに、 「それは大丈夫だよ。愛知〔揆一・外務大臣〕にも言わんから。〔密約文書を〕破ったっていいんだ。一切、〔誰にも〕言わん」 と、信じがたい発言をして、若泉を驚かせています(同年11月6日)。 【資料1】沖縄への核の再持ち込み密約 【若泉がキッシンジャーから手渡された「密約の原案」(*)(1969年9月30日)】 極秘 返還後の核作戦を支援するための沖縄の使用に関する最小限の必要事項 1.緊急事態に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ちこむこと、および通過させる権利 2.現存する左記の核貯蔵地をいつでも使用できる状態に維持し、かつ緊急事態に際しては活用すること。 嘉手納 辺野古 那覇空軍基地 那覇空軍施設 および現存する3つのナイキ・ハーキュリーズ基地〔=米陸軍のミサイル基地〕 (*)最終的にはこの原案の内容を「共同声明についての合意議事録」(まずニクソンが右の内容を述べ、それを佐藤が了承するというやりとりの形にした文書)として書き直し、それに両首脳が 1969年11月19日の首脳会談の席上、大統領執務室に接した小部屋でサインをしました。事前の打ち合わせではイニシャルだけのサインの予定でしたが、実際にはフルネームでサインとなりました(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』) さらにこのとき佐藤は、 「要するに君、これは肚だよ」といったとも若泉は書いています。 いったいこのとき佐藤は、自分がこれからアメリカでサインする予定になっている密 約文書について、どのような認識を持っていたのでしょうか?