戦後日本を代表する政治家たちが「完全にまちがった認識」をしてしまっていた…日米間の「深刻な亀裂」の原因
なぜまちがった認識を、首相が持ってしまったのか
この会話を雑誌『文藝春秋』で取り上げた、密約研究のパイオニアのひとりであるジャーナリストの春名幹男さんは、 「つまり、佐藤首相は、「密約」を、総理大臣の個人的責任で窮地を凌ぐため腹芸で交わすものだと認識していた。そのため、外務大臣にも伝えていなかった。しかも、後継首相にも「密約」を引き継いでいない。これは安保改定時に(略)〔重大な密約を〕結んだ岸首相も同様であった。日本側〔=岸と佐藤〕は密約は個人対個人のものと捉えていたのである」(「日米密約 岸・佐藤の裏切り」『文藝春秋』2008年7月号) と述べています。 「えっ、本当ですか」と驚いてしまいますよね。密約は「個人と個人が交わすものだから、あとの政権に引き継がなくていい」と考えていたというのです。 でも、そんな勝手なとらえ方が、はたしてアメリカに通用するのでしょうか。 「しかし、アメリカは「密約」に対し、まったく違う認識を持っていた。「密約」は決して大統領の個人的判断などではなく、あくまで組織として機関決定し、政府対政府が取り交わすものであり、政権が変わっても受け継がれる、と考えているのである」(同前) それはそうですよね。やっぱり通用しないわけです(笑)。 もちろんこれは、アメリカ側の認識が完全に正しいのです。国家の代表と代表が、互いに文書を交わして、そこにサインまでしているのですから、国際法上、これは通常の 条約や協定と同じように両国を拘束するというのが国際的な常識です(→『知ってはいけない2』280ページ)。 それなのになぜ、岸や佐藤といった戦後日本を代表する政治家たちは、そのような完全にまちがった認識を持ってしまったのでしょうか。
「日本政府の最高レベルに次のことを伝えよ」
そもそも戦後の日米関係というこの圧倒的な従属関係において、過去に自国の首相がサインした文書をアメリカ側から示されたら、日本の政治家や官僚たちは、それ以上抵抗できなくなるに決まっています。その密約について、それまでなにも知らされていなかったとしたら、なおのことでしょう。 法的にも現実問題としても、効力はもちろんある。首相本人が「破って捨てれば、それでいい」というような話では、まったくないのです。 実際、日本の交渉担当者が過去の密約について理解していないと判断した場合、アメリカ側は国務長官〔=日本でいう外務大臣〕が東京のアメリカ大使館にあてて、 「日本政府の最高レベルに次のこと〔=過去の密約の内容〕を伝えよ」 という電報を打ち、その後、抗議された日本の大臣があわてて内密に謝罪するといったことが何度も起きているのです。(*1) 春名さんが詳しく解説されているように、アメリカは他国と条約や協定を結ぶにあたって、非常に論理的な戦略のもとに交渉を積み重ねていきます。 そのなかで、さまざまな事情によって条約や協定、付属文書に明記できない内容については、「公開しない」という約束のもとに別の文書をつくり、正式な取り決めとしてそこにサインをする。しかし30年たったら、基本的に公開する。それがアメリカ政府の考える密約なわけです。 「〔岸や佐藤が〕密約は首相個人の責任で交わしたつもりだったのに対し、米側は組織として密約を機関決定し、公表はされないが有効な国家間の取り決めとして、政権が変わっても引き継いでいく。この両国の埋め難い密約観の違いが、時に、日米間の深刻な亀裂となってあらわれることがある」(同前) * * (*1)『検証・法治国家崩壊 砂川裁判と日米密約交渉』(吉田敏浩+新原昭治・末浪靖司 創元社)
矢部 宏治