「両耳の鼓膜が破れ…」プリンセス天功『8時だョ!全員集合』にも出たアイドルが一転 16歳で“イリュージョニスト”になる覚悟を決めたわけ
天功さん:もともとは舞台女優になりたいと思っていたんです。実は、幼少期から体が弱く、お医者さんには「18歳まで生きられないだろう」と言われていました。ですから、「どうせ短い命ならたくさんの人に知ってもらいたい」と思って。親も「好きなことを存分にやりなさい」と応援してくれました。たまたま親戚のおじさんが、マジシャンとして活躍していた初代・引田天功の事務所の社長をしていた関係で、おじさんの事務所に入り、そこから森久彌劇団で舞台女優を目指す予定でした。ちょうどピンクレディーさんが全盛期のころです。
ところがある日、フジテレビのプロデューサーが、「歌って踊ってマジックする子が欲しい。おたくの事務所に可愛い子がいるって聞いたんだけど」と訪ねてきて。自分で言うのもなんですけど(笑)。そして、1978年にマジックを披露しながら歌うアイドル歌手、朝風まりとしてデビューし、レコードも出しました。 ── 歌いながら、マジックをするんですか…? 天功さん:そうです。鳩が出てきたり、モノが浮いたり。 ── なんだか忙しそうです(笑)。
天功さん:結構、好評だったんですよ。皆さんから「おもしろい」と言っていただいて。ちなみに同期には、サザンオールスターズさんがいます。テレビ局のオーディションなどで、よく一緒になりましたね。「どうだった?うまくできた?」なんて、みんなワイワイおしゃべりしたり。その後、私が日本を離れてアメリカに行ってしまったので、その後の活躍ぶりは見られなかったのですが。
■両耳の鼓膜が破れて 天功さん:2枚目のレコードを出したところで、初代の引田天功が、心筋梗塞で倒れてしまったんです。二代目をどうするかという問題になって、後援会の皆さんから、「女の子でもできるからやりなさい」と言われて。一度はお断りしたんですけど、「使命だと思って頑張ってやりなさい」と説得され、テレビ局のプロデューサーたちからも、「女の子のほうが話題になるから」と。まるでトロッコにポーンと乗っけられ、そのままグイッと押されたようなカタチで、1980年に二代目を引き継ぐことになりました。