震災の記録〝触れて備えて〟 住民主体で遺構運営 新潟県中越地震から20年 長岡市木籠集落
内外から人 交流拠点に
新潟県中越地震から、23日で20年がたつ。長岡市(旧山古志村)の木籠集落では、地震で発生した地滑りで川がせき止められ、集落ごと沈んだ。橋のたもとにたたずむ郷見庵は、地震の記録の展示や農産品の直売、住民らの憩いの場だ。住民主体で運営し、内外から人が訪れる。 山あいに架かる橋からは、流れてきた土砂に埋まった家屋が見える。最高水位15メートル。水没した14戸のうち2戸が震災遺構として保存され、被害を物語る。発災当時は26世帯67人、現在は8世帯12人が暮らす。 店番に立つ松井智美さん(44)は、畜産業を営み、区長として集落再生に取り組んだ父の治二さんの姿を見てきた。土に触れたいという住民のために、郷見庵の裏に「いきがい農園」を整備。現在は、5人が約20アールで特産のトウガラシ「かぐらなんばん」などを育てる。智美さんも栽培し、みそにして郷見庵に並べる。 「子どもや大学生の防災学習の他に、新入社員も研修に来る」「場所によって災害の起こり方は違う。震災の記憶や記録に触れて想像することは大事」と強調する。
初動や調査「次に生かす」 共済連新潟
JA共済連新潟には中越地震、中越沖地震(2007年7月)、東日本大震災(11年3月)、糸魚川市大規模火災(16年12月)の報告書が残る。 共済連新潟の菊地壮平本部長は中越地震の当時、管理部企画管理グループに所属していた。リスク管理や事業継続計画(BCP)は今ほど一般的でなく、大規模地震に対応した手順書もなかった。 膨大な会議資料や通知文書をかき集め、初動や建物の損害査定調査、広報、他の連合会との連携など手探りで進めたことを総括し、報告書にまとめた。 「もう少し円滑にできたこともあったはず。何のために苦労したのか。次に生かさないと」と意義を語る。 (大高摩彩)
日本農業新聞